ジョゼフ・キャンベルの『神話のイメージ』にあるディオニュソスのイメージは、第3章が一番多く4つ(p250-256)、その他、第2章に3つ、第4章に1 であるが、
その他にも、関連のイメージがある。
以下に詳しく見ます。(目次はこちら)
再生の秘儀伝授者(ミスタゴーグ)の原型であるヘルメスは、右手に再生の秘儀を表す杖を持ち、左手には、その秘儀によって「2度生まれた」幼子、すなわち、パンとブドウ酒の神ディオニュソスを抱いている。
ディオニュソスの図像については、その図像に見られる多くの要素が、キリスト教のミサに取り入れられた。(p250)
図220 紀元前5世紀 ギリシアのクラ―テール陶器(部分) ルーブル博物館
Wikipediaで、図220と同様の画像を探してみたが、ツタの冠をかぶっておらず、「ぺタソス」を被っている者が多い・・
(Wikipedia)古典期以降のヘルメースは、つば広の丸い旅行帽「ペタソス」を頭に被り、神々の伝令の証である杖「ケーリュケイオン」を手に執り、空を飛ぶことができる翼の生えた黄金のサンダル(タラリア)を足に履いた姿で表され、時には武器である鎌「ハルペー」(ショーテルとも)を持つ
「ぺタソスについてだが、「角のある神」の頁で、少々図像を見ていました・・そこでは、翼のはえた帽子です。ぺタソス=テッサリアの帽子
https://en.wikipedia.org/wiki/Petasus
「当初からずっとブドウの中にあった、内在する神性が,ある種の変容を経て発現したもの」(p253)
頭上の冠はキヅタ? 右手にリボンのついた細い杖?左手のワイングラスからブドウ酒が流れ落ちて、犬?・・でなく、斑点があるからヒョウ(ディオニュソスの神聖動物※)がそれを飲んでいる?
右下はブドウの棚?
・・興味深い
※偽アポロド―ロスの『ギリシア神話(ビブリオテケー=文庫)』(紀元前1世紀)(Wikipedia)の記述・・・ディオニュソスは、手には杖頭に松毬の飾りと常春藤(キヅタ)をあしらった錫杖(ティルソス)を持ち、ヒョウの背にまたがって布教の旅に出る
この図を見ると、 mother.htmlを思い出す
ついで、「海の上のディオニュソス」とフドウの木
図222 紀元前530年ごろ、エクセキアス作の壺絵、
ギリシア、国立古代蒐集(グリュプトテ―ク) 、ミュンヘン
海の上のディオニュソス
「船上のデイオニュソスにまつわる、有名な伝承の挿絵だが、そこには「エッサイの木」のモチーフの原型が認められる。
(p254)
たしかに、エッサイの木の様に、腹部からブドウの木がはえているようだ。「船板にブドウの木が生えた帆船」(※)というの表現では、ちょっと緩いが、「後代のカーニヴァルの
舟山車の源流の一つ」で、その視覚化であろう、というのは、なるほど・・
(※小苅米『葡萄と稲』p82(白水社1977)
追記:下の図・コメントはbudou3.htmlにあるものを再掲
(Wikipedia)
エッサイ (英語: JesseまたはYishay)とは、
『旧約聖書』の登場人物
古代イスラエル王国第2代王ダビデの父
(エミール・マール)
大木の幹を上に登ってゆく形でユダ属の王たちが段階的に示され、王たちの上に聖母マリア、聖母の上にキリスト
キリストにはそのミニ精霊から7つの贈物が宿っていることをを想起させるために、7羽の鳩からなる後輪
キリストの肉体面での祖先たち(ユダ族の王たちの系譜)の脇に、キリストの精神面での祖先たち(予言者たちの系譜)を配置した
「エッサイの木」についてだが、
キリストの系図がダビデを通じエッサイに由来することを示す主題で,横たわるエッサイの身体から木がはえ,その枝の間にキリストの先祖たちが,頂上にキリストが描かれる表現(シャルトル大聖堂ステンド・グラス,12世紀)などがある。(世界大百科事典第2版の解説)
図223 アンティオキアの聖杯(カリス)
4または5世紀、金箔で覆われた銀製聖杯
高さ7と2分の1inch(約19センチ)
アンティオキア(シリア)付近で発見された
、メトロポリタン美術館、ニューヨーク、クロイスターズ・コレクション
以下は 「楽園の図像―海獣葡萄鏡の誕生―」 (石渡美江著)の言及再掲
鋳造された杯本体の上に別に作られた透かし彫りの葡萄唐草文が貼りつけてある
S字状にスクロールしたものがメダイヨンをなし、幹の回りに写実的な葡萄の葉や実をつけている。
メダイヨンの中にはキリストや使徒たちが入り、その間を鳥、蝸牛、兎、蝗で充填しているものである。
時代が下り、ディオニュソスの代わりにキリストが入る
図224 ブドウの一房としてのキリスト
ディオニュソス風のテーマが描かれている 「これは私の体である。…これは、・・・流される私の血、契約の血である」(最後の晩餐)
第4章のブドウとディオニュソスはここまで
第2章の3つを
超越の主題を表したギリシア時代の作品。
時間の範疇は超越されて、若さと老い、原因と結果も存在しない(p200)
図185 雄牛に乗るディオニュソス
持っている杯は図184と同じ形(カンタロス)
紀元前5世紀、アンフォラ(壺)、ギリシア、ウェルツブルク美術館、ドイツ
天界と地界–非存在と存在さえも–が、二元のものではないという悟りの状態に同化したとき、生命の喜びは尽きることがない杯から溢れる如く、あらゆるものから溢れ出す(p200)
引用した二つの文は、詩的な表現で、この図からそこ(超越?)まで読み取ることについてはわからないが、画像のテーマが、ワインと生命の喜びについてであることは納得できる・・
ディオニュソスはヒョウでなく雄牛に乗っている点であるが、これはヘルメスがアポロンの雄牛を盗んで、雄牛と亀の甲羅で竪琴を作ったという話からで、これと似た図像は多いようだ。
『世界神話大事典』 にも、そういった図像のアッティカの水がめ(下記)が載っていた
『世界神話大事典』Yves Bonnefoy(1923- 2016)編
大修館書店(2001刊)p448
ヘルメスとアポロンの雄牛、アッティカの水がめ
前490年ごろ メトロポリタン美術館蔵
(ジェーン・ハリソンJane Ellen Harrisonの解説の引用)
物憂げに わずかに傾く乙女の頭上には、彼女の名が記されている。その名は「クライパレ(二日酔い)
背後から親切な正気の友が、乙女の頭痛をいやすために、まだ湯気の立っている熱い飲み物を手にやってくる」(p200)
右側の女性が持っているのは、ゴブレット(足つきのグラス)に見える。これもワイングラスではなかったか。ワインのお相伴にあずかっているように見え、熱い飲み物が入っているようには見えないが!?どうなんでしょう・・
図319 若きディオニュソスの顔 後期ヘレニズムの彫刻
ローマ近郊で発見 大英博物館蔵
この像は第4章「内なる光の変容」の第5節「蓮華の階梯」タントラ((知識を広げるもの)の説明あたりにあるのだが、
この像自体の解説はない。またWEBで今のところこのディオニュソス像は見つからない。
Ancient Greek busts in the British Museum(20180206検索になし)
また、「大英博物館AtoZ」で挙げられているディオニュソス像は下のものであった
バッカスの面(青銅)
ローマ時代(1世紀)の模作
「原作はヘレニスティック時代と思われる」
GR.1989.1-30.1
「女神イシスの祭礼で用いられたシトゥーラと呼ばれる手桶の取っ手の下部に装飾的に付けれていた」「角はおそらく17世紀のイタリア人によって付け加えられたものでパンの神とされたものであろう」たリチャード・ミード博士のコレクション
(「大英博物館AtoZ(大英博物館ミュージアム図書)」マ-ジョリー・ケーギル著 大英博物館出版刊p105より)
ギリシア人にとってディオニュソス、またの名バッカスは酒の神であり、神秘的な法悦の神であり、ゼウスとセメレ―の息子であった。
ローマ人はその信仰をギリシアから得て、イタリアの神リベル・パテルに結び付けた。
初め彼は髯をつけて表現されたが、のち黒い目で巻き毛の髪をたらし、頭上に葡萄と蔦の頭冠をつけた美しい若い男に表された。彼の衣は、平和時には紫で、戦時には豹の皮となった。
彼は巫女や彼の崇拝者などを率いて、アジアからギリシアにかけて勝利の旅に出た。その旅の出来事は人が良く知る芸術上の主題となった。
バッカスは激昂するお祭り騒ぎと秘教のバッカナリア(バッカス祭)において熱烈に崇拝された。アテネでは、春のディオニュソスの大祭で彼の劇が演じられた。(以下略)
[文献]
T.H.Carpenter,Dionysian Imagery in Archaic Greek Art(Oxford,1986)
F.W.Hamdorf,Dionysos Bacchus(Munich,1986)
E.Simon, Festivals of Attica(Wisconsin,1983)
最後にもう一つ、J・キャンベルの『神話のイメージ』にある、ディオニュソス関連のイメージだが、ヘビ杯などがあった
ディオニュソスの祭儀に用いられたカンタロス(短い脚と台座のある深い鉢型の杯)と同様、カトリックのミサに用いられる聖杯は、汲めども尽きない容器であり、そのため、贖罪の血がやむことなく注がれる。
現実のワインは、その器の中で変質して、救いの血となる。(p302)
ここで、(キリスト教)ヨハネと蛇についてだが、イメージシンボル事典のヘビの項での解説を補記する・・
中からヘビが現れる形をした杯あるいは聖杯は、聖ヨハネの俗説に由来する。ヨハネが毒を飲もうとしたときに、その毒はヘビの姿となって消えたという。ヘビがブドウ酒を好むことはプリニウス10,93で言及されている。
拝蛇教については別に見たい
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