ギリシア人は、
オーダーを通して、建築表現の普遍性を追求した
ローマ人は、
オーダーを用いて、建築表現の多様性を追求した
『図説西洋建築の歴史 美と空間の系譜』p25 より
この時に架構式の表現を捨てなかったのは、柱の姿が喚起する崇高な感覚のためではなかったかと想像される。つまりギリシア建築における柱は、機能の必要性からではなく、むしろ美的・造形的な必要から採用されているのである
オーダーは極めて完成度の高い美の表現であったから、ローマ人は手っとり早い方法として、壁にオーダーを張り付けたのである。以後、古典系の建築は構造方式としては壁の建築でありながら、その造形においてはオーダーの原理に従うことになる
(p30 佐藤達生)
オーダーとは、水平の梁が柱を支えるという構造方式を、一つの芸術的形式にまで高めたものである。
本来この構造方式は、石造建築には向かない。問題は梁である。
圧縮力には強いが、引っ張り力には弱い石材はアーチ構造に適する。
アーチが横に広がろうとする力(推力)は、頑丈な壁体が支持する必要がある。
壁―アーチ構造はローマ人の実際的発想によって登場した。これによりオーダーは建築表現のヴァリエーションを一気に拡大した。(p50)
ギリシア建築は切石造(きりいしぞう)・・石材の接合面がピタリと合うように厳密に加工された
ローマ建築は組積造(そせきぞう)・・モルタルで接合
ローマ時代以降ヨーロッパ建築の一般的な工法となった。
コンクリートの発明もローマ人の行った重要な革新
ローマン・コンクリート(火山灰を利用したコンクリート)
ピア(組積造の太い角柱で壁の一部とみなされる)
ピア【pier】 基柱ともいう。複雑な断面をもつ太い独立した柱で,柱頭と礎盤をもつこともある。断面は,正方形,円形,十字形のように単純なものもあるが,一般には複雑で,多数の円柱を束ねたようなピアclustered pier(簇柱(ぞくちゆう)ともいう),表面に多数の柱形,付け柱,小円柱をとりつけたようなピアcompound pier(複合柱ともいう)など,その形状は多様である。ロマネスク,とくにゴシック建築においてボールトのリブやアーチを支持するように見せるため,単純な形のピアに柱形,付け柱などを加えることにより,断面は著しく複雑となった。
ピラスター【pilaster】 壁面から張り出して浮彫状に表現される,断面方形の古典様式の柱形。付け柱,片蓋柱(かたふたばしら)ともいう。構造的意味はなく,オーダーの規則に従い,空間的秩序の表現や壁面にリズムを与えるためなどに用いられる。古代ローマ以後,壁面に描かれた建築の表現と同様なものとして,おもに建物内部の装飾,開口部の縁取りなどとして現れた。ルネサンス以後は,外部壁面の装飾にも盛んに用いられるようになる。
(福田 晴虔 世界大百科事典 第2版)
エディキュラ(小祠堂)
神殿の正面部分だけを切り取って他の形態と組み合わせる
最初のパンテオンは紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造された。 2代目のパンテオンは118年から128年に掛けて、ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建された(Wikipedia)
円堂にギリシア神殿の正面を取り付けた外観をもつ
円堂は大理石の外層がはぎ取られ、組積造の表層(内部はコンクリート)をなすレンガが露出しているパンテオン内部壁面につけられたエディキュラ:弓型のペディメント(破風)をコリント式円柱が支える
Web検索
●必見サイト: 異端の建築再読(-F.02 パンテオン)
ゲーテの観察眼の話あり。オクルスの直径9メートルで、雨の時はどうなっているのか、ということだが‥上昇気流の話も。
○ https://www.mariamilani.com/rome_pictures/Roman_Pantheon.htm
○https://lense.mycharminggirl.com/2012/06/pantheon-piazza-navona-rome-italy.html
ラファエロの墓もあるパンテオン(万神殿)
この天井の穴は・・オクルス(oculus, ラテン語で「目」の意)
やはり充実のイタリアのWikipediaサイトを参照したい。
ラファエロは盛期ルネサンスの人だが、
パンテオンは紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近アグリッパによって建造されたという‥(現在の建物はハドリアヌスが再建:28頃完成)
・・人類にとっての元型的な「円」を宿した円形ないし集中式の建築、イタリア建築の生命を支える心臓の原型・・(by池上俊一『イタリア建築の精神史』(2009)
こんなところにライオンがいる!
Colosseum-panoramic.view. Licensed under CC-BY-SA-2.5-pl via ウィキメディア・コモンズ.
AD70~80年ごろ
工事はウェスパシアヌス治世の75年に始まり、ティトゥス治世の80年から使用されるようになった。使用開始に当たっては、100日間に渡りイベントが続けられ、数百人の剣闘士が闘いで命を落としている。なお、完成したのはドミティアヌスの治世中である。(Wikipedia)
オーダーを4段に重ねたコロッセオの外部立面
下からドリス式、イオニア式、コリント式の半円柱、コリント式のピラスター。
頂部には階段席を覆う日除けの天幕を張るためのポールを立てる。
アーチを支えるピアは外周を80等分して決められている。
80は4と10の倍数
外壁はアーケードとオーダーの見事な統合を見せている
(Wikipedia)
「コンスタンティヌスの凱旋門は中央に大きなアーチを、その両脇に半分の大きさのアーチを開けた分厚い壁体
にコリント式オーダーを張り付けたもの」
独立円柱を柱台(ペデスタル)※の上に載せて高さを調整する
柱台(ペデスタル)はローマ建築に現れた重要な要素である。=オーダーの比例を変えることなくエンタプラチュアの高さを調整することができる
エンタプラチュアの上にはアティック(上屋)が載る→重厚
建築家たち(ウィトルウィクス ブルネレスキ アルベルティ)
ローマ建築の復興と古典的調和の実現達成
"Palazzo Te Mantova 2" by Marcok / it:wikipedia - Self-published work by Marcok. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons.
"Palazzo Te Mantova 1" by Marcok - Self-published work by Marcok. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons.
分解されたオーダーとルスティカの意表を突く組み合わせにより、古代の廃墟を思わせるような外観を作り出している
【パラッツォテ。パラッツォ‐デル‐テ】設計はジュリオ=ロマーノ。内部は華美な装飾が施され、マニエリスム様式の代表作とされる。テ離宮。
【ジュリオ・ロマーノ】合理的,調和的な古典主義の規範を熟知したうえでそれを意図的に崩し,破調と奇想,衒学と不条理に満ちた創作によって,古典様式を解体しマニエリスムへの道を開いた(kotobank)
二階分の高さをもつオーダー
"Piazza del Campidoglio panoramic view 39948px" by User:MatthiasKabel - 投稿者自身による作品. Licensed under CC 表示-継承 3.0 via ウィキメディア・コモンズ.
古代ローマの元老院があったカンピドリの丘に建てられた、三棟の建物はオーダーの用法に変化をもたらした
Michelangelo Buonarroti,1475~1565
イタリア・ルネンサンスの彫刻家、画家、建築家。フィレンツェでロレンツォ・ディ・メディチの保護を受け、1505年ローマに赴き、教皇ユリウス2世の墓廟(未完成)やシスティーナ礼拝堂を建設。代表作に、サン・ピエトロ大聖堂、カンピドリオ広場など。
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