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蜂の図像の歴史・文化

me
前頁でクモは「善良な」ミツバチと対をなす「邪悪」な存在であるというイメージ事典の語を参照したが、ここでは、その「善良な」存在を見ていきます。 プリニウスが「最高の創造物」と呼んだ、ミツバチ、そしてハチミツ・・

形・イメージ (文様/文化/象徴)

ハチ

『中国シンボル・イメージ図典』

ミツバチ

人間社会に似た蜂の集団に注目して、礼節と孝行の象徴である。

女王蜂を中心として成り立つ生活システムは、君と臣の忠節にもたとえられる。勤勉で生産性の高い性格にあやかるようにと、西域の部族の中には、結婚式で指輪交換の際、新郎新婦にはちみつを嘗めさせて、新婚生活が実り多いことを願う習慣がある。

農耕の漢族の間では、「豊」と「蜂」が同音であることから、豊作を願ってイネ,キビなど五穀と蜂を組み合わせた「五穀豊登」の図を好む。(日本の「五穀豊穣」と同じ意味)

「蜂」は「封」とも同音である。猿とコンビで昇進の成就を表す。「猿」は漢語で、「猴」と書き、諸侯の「侯」と同じ音で高い地位を得られることの寓意である。図像名はよく「挂印」で登場する。

出典:王敏/梅本重一編『中国シンボル・イメージ図典』 東京堂出版(2003)

me「五穀豊登」の図をWEB検索したが、蜂は見当たらなかった。
本「唐草図鑑」で見てきたのは、古代エジプトや古代ギリシアがメインで、古代中国・東南アジアはまだまだであったたが、
西洋シンボル関係の事典では、『図説世界シンボル事典』だけは、中国についての記述も多めで、『中国シンボル・イメージ図典』 と重複した記述であった。この、虫の図像・文化の項目では、意図的に中国の図典からの引用を先に出した、
少々本題を外れるが、WEB検索では、「封印」の方でなく、「挂印」の方に、目が行ってしまいましたが、

(以下引用)封印とは、昔、皇帝が臣民に称号と印を授けたという意味です。昇進の比喩。
文様はしばしば猿が吊り下げられた版画を拾い上げて構成され、意味を表すために「猿」と「ホウ」の同じ発音を使用しますhttps://www.baike.com/)Kuaidaipedia
※中国サイトに訳して、「ハンギングプリント」の図あり。http://www.gucn.com/

ハチ 蜂


Hymenoptera

ユリでなくハチ

Abeilles de Childéric Ier

Gold bees of King Childeric I

「花ではなく、クロ―ヴィスの父親キルデリク王のシンボルとして使われたミツバチをかたどったものだという説もある」
(『世界を変えた100のシンボル』サラ・バートレットp090-093)

百合ではなくミツバチというナポレオンの紋については、フルール ・ド・リスの頁へ。
「16世紀のフランス王ルイ12世は、蜂を君主のシンボルとしたが、これを有名にしたのが、ナポレオン1世である。
ナポレオンは、1804年に皇帝に就任するや、蜂を皇帝のシンボルと個人紋として、用いたという。
かくして19世紀初頭には、ナポレオンに代表される新興貴族階級の象徴として人気を集めた。
【『西洋装飾文様事典』城一夫 p360)

「封侯挂印」


蜂と猿、蜂の巣で、「封侯挂印」という。
出典:『中国シンボル・イメージ図典』p60

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「蜂」は「豊」「封」と同音で、封印= 猿とコンビで昇進の成就を表す。・・
その逆に、「挂」は「掛」と同じ。挂冠=冠を脱いで柱に掛ける=辞職、
「挂印=吊るし印」も辞職を意味し、『三国志演義』の関羽雲長の話に由来する、言葉のようです。
蜂に関係ないが、参考までに、そちら、一応挙げておきます。
出典:https://jilu.wiki/thread-413.htm
挂印封金,成语典故,出自小说《三国演义》第二十六回:“袁本初败兵折将,关云长挂印封金”。“挂印”是离任、辞官的意思;“封金”是把金银财宝封存起来,表示不想接受。
※関 羽(かんう〉(220-、中国後漢末期の武将。字は雲長)Wikipedia

「長寿と繁栄のために封印を託す類人猿」図
http://collection.sina.com.cn/jczs/2015-12-16/doc-ifxmpnqf9837578.shtml

ハチの生物学

ハチ(蜂)とは、昆虫綱ハチ目(膜翅目)に分類される昆虫のうち、アリと呼ばれる分類群以外の総称。(アリもハチ類ではあるが、多くの言語・文化概念上、生活様式の違い等から区別されている)`
出典:(wikipedia)

成長段階は卵→幼虫→蛹(サナギ)→成虫という完全変態を行う。 メスの成虫には産卵管が発達するが、産卵管を毒針に変化させた種類がよく知られている。

Honeycombs-rayons-de-miel-2
Honeycombs made of wax and full of honey, builded by black bees
蜂の巣。六角形の部屋が密集してできている。
「ハニカム構造」とは、正六角形および正六角形柱が隙間なく並んだ構造のことを指す言葉です。 ハニカムは英語で「honeycomb」と書き表され、「ミツバチの櫛(ハチの巣)」という意味を持ちます。 ハチの巣が正六角形の形をしていることから、このような名称で呼ばれています。(wikipedia)強度抜群の構造

分類学

英名
Sawfly(=ハバチ
Bee(=ハナバチ
Wasp(=それ以外のハチ)
https://www.eigochigai.com/(比較の図)
※ アリは、一般にはハチとは全く違うかのように扱われるが、分類学上は、アリはハチの中の1分類群である。(wikipedia)

人間の文化

養蜂の文化史

山田養蜂場 ミツバチ研究支援サイト より以下抜粋引用+補足

    (旧石器時代)紀元前6000年頃スペインの東部、バレンシア近くのアラニア洞窟 Araña Cave で発見された壁画の中に、高所に梯子を掛け、穴の中にあるミツバチの巣から何かを採集している人の絵が見つかっている。

新石器時代ハチミツを濾すのにつかわれた、穴が穿かれたの粘土容器がスイスで見つかっている。
古代文明: シュメール、バビロン、ヒッタイト、古代インド(ヴェーダ)など、ミツバチやハチミツの記述が登場する。
古代エジプトでは、紀元前3500年頃、ミツバチのヒエログリフが使われている。、
ギリシアでは、紀元前450年頃の巣が発掘されている。
日本におけるミツバチとハチミツ利用の歴史も古く、最初の記述は日本書記に遡るという。
平安時代の後期には、藤原 宗輔(むねすけ)という公卿が、蜂飼大臣(はちかいのおとど)として今鏡や十訓抄に登場する。
江戸時代になると各地で養蜂活動が行なわれるようになり、その様子は、貝原益軒の「大和本草」、久世敦行の「家蜂畜養記」などに伺えると言う(飯田07)。
中国の書を翻訳した「国訳本草綱目」にも、ミツバチとハチミツに関連した記述が断片的に紹介されている。

『食の図書館 ハチミツの歴史  “Honey: A Global History”』
ルーシー・M・ロング著 大山晶訳(原書房2017刊)

ハチミツの多彩な伝説

古代エジプト ハチは下エジプトの象徴
ハチミツは神々の贈物で、とくに主神ラーからもたらされる

死者の防腐処理、死者の食べ物
ミツバチのヒエログリフは下エプトの王を表した。

古代セム語族
ハチミツはアスタルテの贈物
大地ならびに人間の豊饒の象徴

古代インド
紀元前1500年頃に溯るヴェータ1028篇に頻繁にハチミツ(machu)という言葉が登場する。ハチミツは雲の中からもたらされる・
ヴィシュヌ、クリシュナ、インドラといった神々を「マーダベッタ(Madhava=ハチミツから生まれた者たち) 」と呼んだ。
ハチミツは生命と保護の源、ハチは神々と人間との連絡係


p23図 インド北東部 サーンチーにある、紀元前1世紀の石のレリーフ
サーンチー(Sanchi) 北トラナ(北塔門)
「森の中で瞑想するブッダに猿がハチミツを献上した伝説が描かれている。」

インド文化とヒンドゥー教の影響を受けが他の軍歌にお向け継がれた。
⇒タイ 悟りを求めたぶっだた猴からハチの巣を捧げられた故事

古代ギリシア・・同様の伝説
霊酒(ネフタル)、ハチミツ酒(ミード)、アムブローシアと同一視された。

まだ幼いゼウスが、メリッサ(ギリシア語でハチミツを意味するmeliからきている)をミツバチにかえた
ミツバチは「メリッサエ」と呼ばれ神々の世話人、親友、共謀者」となった。神託を求めデルポイに向かう巡礼者を道ぶく役割も担った。(p22)
ギリシア人はミツバチがハチミツを作っていることに気づいていなかった。(アリストテレスも、プリニウスも)
ローマ人はハチミツを春の女神で冥界の女神の女王に捧げた。彼女をなだめ火山の溶岩ではなく、春の先触れとして地上に現れるように願ってのことだ。 

メリッサ - ギリシア神話のニンフで、ミツバチの擬人化。(wikipedia)

イスラムの文献
天国にはワインと乳とハチミツの川があると描写

15世紀、印刷機が発明されると、用法に関する本が西予に次いで人気のある出版物の一つになった

ハチミツは貿易や商業においても花形だった。
エジプトでは早くも紀元前2500年には周辺の国から輸入していた。

中世ヨーロッパ(5~15世紀)
養蜂は非常に損気される職業であった。
ミツバチの他の産物、蜜蝋はろうそくを作るのに利用され、哲学者や神学者も蜜蜂の高潔な性格とぶれの複雑なシステムについて思索した。(p30)

ハチミツの衰退

宗教改革:古くから八いつを製造してきた男子修道院の多くが1530年代に閉鎖された・:
サトウキビは8世紀にムーア人によって南ヨーロッパにもたらされた。 15世紀に茶とスパイスが「発見」されてから、砂糖が頻繁に使われるようになった。19世紀んカバになると佐藤はハチミツより安価になり、ハチミツにとって代わるようになった。やがてさほど重要な役割は果たさなくなった。 (p31)

ミツバチと養蜂家の守護聖人

(カトリック協会が認定した守護聖人)
養蜂の技術はキリスト教世界全域の修道院でじっせんされえたかめられた。(p47)

6 世紀前半 聖モドムノク(Modomnoc)
https://orthochristian.com/77526.html
アイルランドの民間伝承の「ミツバチに告げる」という慣習(wikipedia

3世紀頃の聖ヴァレンタイン

4世紀の聖アンブロジウス

12世紀のクレルヴォーのベルナール「蜜が流れるような」雄弁

Cranach, Cupid Complaining to Venus
ルーカス・クラナッハ「ヴィーナスに困らされるクピド」(1525)
ハチの巣を盗んでハチに刺されたクピドがヴィ―ナスに泣きついている:(p130)

プリニウスの博物誌

「昆虫の種類」の巻は、訳書のぺ―ジ数を見ると概算で23ページで、うち、14ページが、
最高の創造物・ミツバチ」の関連ページで、 半分が蜂に割かれている。

他には、アッシリアのカイコ(絹)、クモ、サソリ、セミ、カブトムシ、イナゴ、アリ、サナギ。チョウ、ガ・・

ビコルプの人」

Cuevas de la Arañ

ハチミツの歴史』ルーシー・M・ロング著 p38図

「断崖のハチの巣から 採蜜する様子を描いた旧石器時代の洞窟壁画。
今日も一部の地域で行われているように、縄梯子とかごを利用している。」

スペイン、アラーニャ洞窟  先史時代の有名な洞窟壁画
世界遺産「イべりア半島地中海沿岸の岩絵」
https://auladehistoria.org/c, https://www.rutasconhistoria.es/

ヒエログリフ


(p20 図 ミツバチをかたどったヒエログリフ)
ミツバチは王族とエジプトの象徴だった。
イテフ王の墓ルクソール紀元前2100年


『古代エジプト語のヒエログリフ入門:ロゼッタストーン読解』
(宮川創・吉野宏志・永井正勝)‥Web限定著作?
ひつじ書房のウエブマガジンより引用

ケルノス

Maidstone 026
4000年前、前期キクラデスIII期 (ECIII)の陶器の壺。
ギリシア、メロス島から出土、
「ハチミツとオーツムギを捧げるための器だったと考えられる」、
(p25)

Maidstone Museum's Kernos, a 4000-year-old pot of the early Cycladic III period,
from Melos in Greece.
Thought to be an offerings cup for honey and oats.
In Maidstone Museum, Kent, England<. 

スケップ(Skep)

ヨーロッパの伝統的な麦わら製の養蜂箱



Plaster Ceiling Bee Motif at Buckland Abbey

ハチの守護聖人

H. Ambrosius Heiligen (serietitel), RP-P-1908-4667

ミツバチと共によく描かれる聖アンブロジウス=説得力のある能弁家(ハニー・タン)
「アンブロシウスがまだ幼児の頃、彼が口を開けて眠っていると数匹の蜂が彼の舌の上に止まり、彼を刺す代わりにはちみつを垂らした」このために彼は長じて話し上手になったという(wikipedia、4世紀のミラノの司教

Hauptstraße 15 Fürstenfeldbruck 1

ハチの文物

Fontana delle api
蜂の噴水
イタリア ローマのバルベリーニ広場にある噴水。
立ち上がった二枚貝に3匹の蜂がとまっており、それらの下から水が供給されているというデザイン。
3匹の蜂は発注者たるウルバヌス8世の生家バルベリーニ家の紋章に由来する (wikipedia

Symbol of Vatican - Barberini

(2017年6月3日)バルベリーニ宮にて

ハチの巣の比喩

アルハンブラ宮殿(スペイン、グラナダ)
ハニカム天井

特に「二姉妹の間」の天井の鍾乳石はその緻密さから、「蜂の巣」と呼ばれ世界最高の建築とたたえられることもある。      

Mocárabes de la Alhambra 2

以下引用
「アラピック」という言葉は、実は小さなものの集合体という意味があり、アラビックデザインと言うと、この天井の模様のように、小さな粒々で全体が構成されているものを示している(小さな建築隈 研吾

『図説世界シンボル事典』

ミツバチ
社会生活を営むことで有名な昆虫。
シンボルとしてこの虫程重要な役割を果たしているものごくわずか。
飼育方法も早くから見いだされ、人々の生活の安定に大きく寄与した。甘味料にしたり、蜜蝋も、ろうそくの製造や、金属の鋳造などに役立てられた。

エジプトでは、紀元前2600年ごろから養蜂が行われたことが確認されたている。蜜蝋はミイラの死体の防腐処理に使われた。
ミツバチは下エジプトの王権を表すシンボルであった。


テーベの墓のレリーフ、前600年頃。(p321図)


古代の貨幣に描かれたミツバチ、太母神のシンボル エフェソス(p417図)

インドでは野生のはちみつが豊富に採集できたため養蜂は発展しなかったが、中国では非常に古くから行われた。
ミツバチは「蜂」と「封」とが同音(feng)であるため、あるとの組み合わせで、「封侯」を表し、しゅっでを願う気持ちを表現する図案などに描かれた。
西洋では、ハチはしばしば「マリアの小鳥」あるいは、「主なる神の小鳥」とよばれ、魂を表すシンボルとみなされる。
エレウシスの密議を行なう祭司や巫女は「ミツバチ」と呼ばれた。 
ミツバチ冬の間活動を休む様子は一種の「死」とみなされた。そのため得復活のシンボルとされた。
女王バチはメスではなくオス信じられていた時期が長く、王権のシンボルであった。 (フランスの王家の紋章は本来はミツバチを様式化した図案であったという説もある)
紋章の図案としては、秩序と勤勉を表すシンボルで、コルシカのボナパルト家のように、複数で描かれることが多い。

古代中国では、はちみつは方位の「中央」に結びつけられた。
チュ性でh、あはちみつはミツバチが集めた露の源と考えられ。口に甘いだけでなく傷を治す効果があると考えられていた。(p321)

出典:ドイツのハンス・ビーダーマン著『図説世界シンボル事典』

イメージ・シンボル事典

[一般]、ミツバチは元は天国に住んでいて、「小さな翼を持つ神の召し使い」だった。楽園失墜の後、白色から茶色に変わった。ワシとともに天国に入ることのできる唯一の生物。
[月の女神と関連] 月―雄牛と関連する、美しい雄牛が死ぬとその内臓からミツバチが湧出する。
[神々の食物としての蜜]
[聖王との関連]
[死と不死]古代ギリシアではミツバチの巣の形をした墓が多かった
昆虫の王である。動物界の他の分野では、ワシは鳥類の王、オナシザルは猿猴類の王、ライオンは野獣の王、クジラは魚類の王、、樫と杉は木の王。
[好ましくない特性]甘言と誘惑を表す
[対照のシンボル]ミツバチはスズメバチと体形が対照的、悪魔の化身江あるクモ

[神話]エジプトでは、王権を表す。
ミトラ教礼拝では、牡牛の首と300の黄金ミツバチが捧げられた。

[紋章]カロリンガ朝のシンボル、ナポレオンは統治当地のシンボルとした。

[文学]ダンテ「天堂篇」の終わり:天使であるハチが、象徴的神秘的なバラをとり囲んでいる。

[民間伝承]
さまざまななぞなぞ歌がある。ぶんぶんいう羽音で神への崇拝を表す。

『イメージ・シンボル事典』(アト・ド・フリース原著 山下主一郎 大修館書店創元社1984)

ミツバチ 図像


ホーベルク「預言者ダビデ王の雄保薬草園」(1675)
(『図説世界シンボル事典』p417)

me検索していたら同じ二つの画像があったのでよく見たら、同じくこの事典からでした。、

(http://elsignificadooculto.blogspot.com/)

https://marques.crai.ub.edu/en/ (バルセロナ大学)

ダンテ神曲の
バラとミツバチ


meこの一番目の画像。出典がわからなので困るが、確かに。バラとミツバチのようです‥

虫の図像学

[西洋における ミツバチの文化は、彫刻、ガラス細工、コイン、宝石などの工芸品として残されている。」 (wikipedia)

まだまだあるだろうが、 次の虫として、蝶へ。
なお、 中国では、蝶は一字で表記せず、「胡蝶」「蝴蝶」と2字で書くのが普通という。

絵画

ダリ
目が覚める1秒前にザクロの周りを飛ぶミツバチによる夢(1944年)マドリード、ティッセン・ボルネミッサ美術館

図像

蜂窩状墳墓(トロス墓)
「ミニュアスの宝庫」墓室レリーフ
オルコメノス Orchomenos  前1500~前1400
パウサニアスが『ミニュアスの宝庫』と呼んでいるトロス墓(ハチの巣型)

パウサニアス『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年)

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