両性具有 りょうせいぐゆう
一般に,男女両性を兼ねそなえた存在のことをいい,ギリシア語ではアンドロギュノスandrogynos。これに関して最もよく知られる物語は, プラトンの《痢宴 (シュンポシオン) 》に登場するアリストファネスの演説であろう。昔,人間には男と女のほかに,両性の結合した〈男女 (おめ) 〉と呼ばれるものがあり, 3 者とも手足が 4 本ずつ,顔が二つ,隠し所が二つあった。だが,ゼウスがこれらを両断したため,二つに分かれた本性は互いに己が半身にあこがれて結合しようと求め合う。したがって〈男女〉の半身のうち,男は女を,女は男を求めることとなる。男女間の愛を,原初の完全存在に対する憧憬として説明するのに,この物語がしばしば引合いに出されるゆえんである。
しかし,アンドロギュノスとしての原初的存在は,さらに古く世界各民族の宇宙創成神話に痕跡をとどめている。宇宙開闢 (かいびやく) 時には,世界は性的に未分化の〈卵〉であり,その潜勢的な産出力により神々と万物が分かれ出た。かくて始原にあるのは両性具有者なのである。この神話においては,世界創造は存在の分化・発展であると同時に,根源からの離反・堕落でもある。性の区分も例外ではない。それゆえ人間は,時を選んで神話を反覆・再演する宗教儀礼を通じて,未分化の原初的統一体へと回帰しなければならない。例えば婚礼や成年式において男女間で行われる衣装交換は,象徴的に両性具有者となることによって,個別の性を始原の存在に再統合するイニシエーション的儀式なのである。
哲学の分野では,両性具有のテーマは〈反対の一致〉〈全体性の神秘〉として登場する。 J.S.エリウゲナの《自然区分論》では,実体の区分は神において始まり,漸次人間の本性にまで下降して男女の区別が生じる。ゆえに実体の再統合は,逆に人間から始めて,神を含む存在の全体へと統行しなければならない。かくて神→自然→神という円環が完成される。これが世界の終末であり,最終段階で男女は再統合され,両性を超越した存在となる。復活のキリストはその先駆けであった。両性具有をシンボルとする玄義は,グノーシス主義や錬金術にも濃厚である。特に錬金術のシンボリズムは一種の汎性論ともいうべく,太陽,火,硫黄を男性,月,水,水銀を女性とし,錬金作業を両性の婚姻としてとらえた。したがって作業の原材料 (第一原質) も,窮極物質たる〈賢者の石〉も,ともに両性具有神の図像で表されることが多い。アニマ‐アニムスなる対概念で,男性の内に潜む女性,女性の内に潜む男性を想定したC.G.ユングが,精神分析学の観点から錬金術研究に赴いた際にも,この性的シンボリズムが一つの手がかりとなった。
両性具有の神話は,文学においてはドイツ・ロマン派に開花したほか,スウェーデンボリの影響が濃いバルザックの小説《セラフィータ》で最も魅惑的な表現を得た。なお,このシンボリズムでは,ヘルマフロディトスも,両性具有神としてアンドロギュノスと同義に用いられる。
有田 忠郎
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