唐草図鑑バナー

美術様式論


リーグル美術様式論―装飾史の基本問題」
長広敏雄訳 岩崎美術社、1970新版)

リーグル(ギリシア美術における植物文様)

10 ヘレニズム式(後期ギリシア式)
およびローマ式唐草文様


me 


「美術様式論」p255

以上において、前5世紀中ごろ以前のギリシア美術にはまだなかった、新たな写実的傾向が創造した最も重要な植物文様があったことを知った。

三葉の萼は、かって古代オリエントおよび古代ギリシアの様式がそうした以上に 、原型のエジプト風から、遥かに離れた変形を遂げた。(たとえば鐘形、繖形(かさがた)、梨形)
また一見新たな花文様も━明らかに透視画的図形を示した━出現した。

「美術様式論」p256

ヘレニズム美術についての関心は、ぺルガモンの発掘以来である。
ヘレニズムの美術装飾の評価は、特にテオドル・シュライベルTheodor Schreiberに理解深く真摯な弁護者を見出す。

Pergamon :Wikipedia.en
Wikimedi]aAncient Greek pottery from Pergamon
Theodor Schreiber 1848-1912 ドイツ考古学研究所http://www.vintage-views.com/greek-architecture-doric_pillars-capitals-arch_print-p7.html

敷き写しほど自然にもたれきることなく、アカントスは一般に、植物文様が自然物に近づきうる極限天を示す展を示す。ヘレニズム式及びローマ式唐草文様の花モチーフに見られる変化は、それまでの過去のプロセスの頂点を形作るものではなく、その上に続く基本的な新構成の萌芽とみられる。

唐草文様の完成についてヘレニズム美術になお残されたなすべきことは、個々文様の取り扱いではなく、一般に唐草文様を施す応用範囲の量如何、広がり如何であった。

広範囲の利用法についての物理的(?)━唐草の自由芸術的な取り扱いは━既に黒絵式陶器の画によって満たされた。

「美術様式論」p257

ディアドコス時代の建築士の専制的オリエント風となった頭には、簡素で気品のある列柱建築は満足でなかった。
複合建築や丸天井が、この時代のファンタジーを動かし、 華麗な建築Prachtbauはアレクサンドリアのサラペイオンの流儀で施行され、そこでは、彫刻、絵画が単に装飾用の副次的な役目をしたにすぎなかった。

「美術様式論」p257


図121
エルミタージュ蔵 銀塗りアムフォラ
ニコポール陶壺

唐草文様によって壺の胴が装飾されたよい例
前5世紀のアッチカ式陶壺の画像フリーズは、この壺では狭い肩部の帯状となって縮小されている。表面装飾の大部分は唐草である。

下部には三つのアカントス葉の萼がある、二つの側面形の葉を挟んで、中間にひとつの正面向きの萼がある。この萼から二つの唐草蔓が伸びあがり、シムメトリックに広がり、揺れ動きつつ上縁に至る。そして繰り返しアカントスは唐草の先についている。
それは立体的な半パルメットして唐草の交叉のさや型を作り、ロータス花の萼およびパルメット萼の役をしている。

立体透視図的な半パルメットに並んで、なお伝習的な平板な抽象文様を見る。 それは曲線状をしまし、かつ部分的に撒水パルメット形式をまねている。 

こういう平板で抽象的な図形と立体的・透視図的図形との並置は、ヘレニズム装飾法にとくに特徴的なものであった。

このニコポール陶壺では挿入された鳥を注意する必要がある。軽やかな姿はその場所にふさわしく、半ば羽を開いた形で描かれている。

残念ながら「ニコポール陶壺」とあるのが意味がわからない。しばし保留です!。
Wikimediaでは、4th century BCE, southern Italy, The Hermitageというと、
Black-glazed hydria known as the "Regina Vasorum", などがあったが、これではない。

「美術様式論」p259


図122 エレア出土の黄金製王冠飾り

ギリシア美術が、人像表現というすべての彫刻、絵画の最高課題に幾世紀を通じて完全なものを作り上げようと期したことは、けっして無駄なことでもなかった。

ついに人像は装飾のうちにも取り入れられた。人像を唐草文様と巧みに結びつけることは、ヘレニズム美術家にふさわしい課題のひとつであった。 先駆形は108図  

この課題のヘレニズム風な処理法の好例は、122図
中央のパルメットに座っている青年は有翼のエロス神、唐草の扱いはニコポール陶壺の様式化の取り扱いが似ている。
興味深いのは、その王冠飾りの縁飾りを為せる連続唐草文と、第76図のクラゾメネ陶棺の半パルメット扇形充填との比較である。一方では基本的な図式は一致し、他方、エレア王冠飾りではずっと生き生きとした動きとなっていて、半パルメット扇形充填の様式化の変化がある。

パルメニデスとゼノンの居住地である南イタリアのギリシア都市エレア(Elea)→ヴェーリア(世界遺産)

「美術様式論」p252


図123 アビドス発見の金製冠飾

人像をもっと豊富に取り扱ったもの。 中央、一対のアカントス萼上にディオニソスとアリアドネが座っており、両脇には、唐草の波線の上に座って奏楽する女像を描く。

唐草の両端についているモチーフは、ヘレニズム時代の美術および、のちのオリエント美術に大きな役割を果たした。ある学者(ヤコブシュタール)はこれをギリシア土産の植物Dracunculus vurgarisに推定した。この文様の特にオリエント地方への分布からして私はこの説は疑わしいと思う。

ここにドラクンクルスの名が出てきたのには驚きました。あの蠅を呼ぶ臭い植物がこのようなところに描かれるとは思えない。植物図鑑:ドラクンクルス

アビドス(エジプト)

「美術様式論」p260


図124 様式化した樹状文様(古エジプト式)

ヤシと考えられる同様の文様が、すでに王朝時代のエジプト美術に描かれている。
123図では、その文様は唐草の端について地間充填をなしている。

フリーズ形で葉が像と唐草曲線との結合が比較的たやすく行われることが分かる。
同様のことは壁柱(ピラスター)にも認められる。ヴィラ・ハドリヤーナ(Canina Ⅳ,172)にそれの素晴らしい好例が見出される。

※Villa Adriana

ヒルデスハイム銀製クラテル:童子像を点在させた自由な唐草の展開。
このような作品を以て、植物唐草文様は、すでに行くところまで行き着いたし、発展の環は尽きた。

Hildesheim, Germany
クラテール

ヘレニズム時代、ローマ帝国時代においては、唐草の細部の取り扱いに、またはそれに付着した花や葉の文様の様式化過程に、ある種の変化と形成とがおこわなわれた。
この変化は、来るべき本質的には違った諸目的を目指す諸形式の、先ぶれであり出発点とみなければならない。

ギリシア唐草文様の発展においては、それに関係するすべての文様のうちで、パルメットが次第に最大の重要性を握るようになった。
唐草の枝分かれの地間を充填するための、その当時の要求の程度に応じて、最も適合したものは、パルメット扇形であった。
撒水パルメットの出現が、後世の発展に示した持続的な意義は、パルメット扇形が二部分に分かれたことである。統一的な扇型を捨てて、二つの半パルメットのシムメトリックな結合物として自分を示す

me  リーグルの「美術様式論」を最も短時間で読んで済ますなら、まずこの262~263ページであろう。
ちなみにリーグルは、アカンサス文様がアカンサスという植物を写した文様ではないと異議を申し立てている(そうとられていることが多い)わけではない。言いたいことは、アカンサスという名のモチーフはそれまでのパルメットという文様の発展であり、その立体化による、新たな美の創造であったこと、アカンサス文様は新たな写実的機構が創造した最も重要な植物文様、純粋な形の美であるということであったろうか・・

「美術様式論」p263

前5世紀の終わり以来、平面的抽象的図形と立体的透視図的図形の
二つが並列して行われ出した。

a.平面的なパルメット唐草


図125 彩描ギリシア唐草文様

「美術様式論」p264

前5世紀のアッチカ式陶壺でよく知られているパルメット唐草の系統と根本においてかわりがない。
アッチカ式では、ある点では全く見出されず、ある点ではごくわずかにしか見出されない特徴は、
第一に手の込んだ空間充填法である。個々の文様はたがいに非常に接近している。新たに増大した装飾欲、つまり徐々に 根強く押し出してきた装飾的な傾向が、器地をできるだけ装飾図形によって豊富に飾るという努力のうちに示された。

対象的なものの描写に努めた傾向は、ぺリクレス時代ごろまでのギリシア美術の一般特性を特徴づけたものであった。つまり、主として、人体の表現を完成することであり、ギリシア主義を動かす宗教的、道徳的、政治理念を視覚化するのに努めたのである。
この方向に向かって前5世紀の最後三分の一では、それ以上高まりようのない絶頂に達した。
そこで再び装飾への喜びが活気づき始め、一般に美術制作の振幅する両極のうち、別の極の方へ押しやられた。心や目を愉しませるために、様々なものが作られた。例えばポンペイ、室内装飾は、純装飾的な形の材料を要求した。 

そのような材料は決して一朝一夕にして作りだしうるものではなった。だからまず手始めとしては伝習された装飾図形をより豊富により多様に利用することであった。

「美術様式論」p266

古いアッチカ風に対して、第125図のものが明らかに区別される点は、一般的な唐草デザインの使用法である。
来るべき別個の目的に向かう美術精神が示されている

唐草の蔓の描き方に見られる分厚い運線
この運線は繊細な渦線に対してひとつの肉体的な姿を与えようとする下部の諸々の唐草は、中心に向かって、上方へと流れる。一方では唐草渦線が作られ、他方では分厚いナメクジに似た末端を示し、そのあいだの扇形断片の三つの葉形が充填する。

この分厚い運線は、渦巻き唐草の如く単なる萼形成に役立つのでなく、
全体モチーフの中で自由な半パルメットを認めさせるのである。

この種の半パルメットでの「自由運線」はわざと強調された。なぜかなれば第125図では、自由終止として表現されず、むしろ、その頭から更に唐草を延長していく多くの半パルメットが見られからである。

図の中央下のパルメットから右にはしる唐草線をたどる。
このパルメットの頂をこえて
━ここでそれは左から来た唐草線と一緒になり、一種の萼を形成し、その萼の上には又上の中央パルメットができる━
その線は右に向かい下に曲がって渦線のわか芽を作る。

このパルメット扇形のもともとも意味は、単にアクセサリ的な地間充填にすぎなかった、だが今の場合は、渦線が句と扇形の関係はすでに、きちんと選択されたもので、半パルメットの図形は目に押し迫っている。

さらにすすみ、また情報に曲がり、新たに半パルメットをつくり
完全パルメットの周りを囲んで、結局
分厚く、エネルギッシュに外に曲がった頂をもつ、
自由形半パルメットに終わっている。

半パルメットのような、明らかな植物性花文様(又は葉文様)か唐草につく場合、自由終止を示すのでなく、その文様頂点(又は尖端)より、更に唐草を延長するように描かれる。
→天然の葉や花がふつう茎の頂に位置している自然の基本原理からの決定的な相違がここには見られる。

「不自由」半パルメット

「美術様式論」p267

装飾デザインはこのような相違への権利をもつのだが、しかし重要なのは、いつ、そしていかにして、これが初めて起こったのかを観察することである。

地間充填の方式の発展

そうなったのは、おそらく純芸術上のプロセスからであろう。
われわれは、エジプト美術から始まって、すべての古代美術に行われた地間充填の方式を考慮してきた。そしてこの方式が徐々に「不自由」半パルメット(仮にそう呼ぶならば9の成立へ導いたことは、疑いない。

125図の陶器画工が、半パルメットの先端、頂点が、さらに延長さるべき唐草の出発点を形作るという事柄を考えていたとは信じられない。
その証拠に、例えば立体的透視図的半パルメット、つまりアカントス半葉形を手に取るならば、これ葉蔓になり変わるように、(いわば「不自由な」)もともと、形作られたものではないからである。

この例が、将来の発展にどんな点で重要かといえば、後代の自然主義にそむいた美術、また装飾紋様でのもともとの植物質の意義をわざと認めぬ美術が、とって以って抽象的図形をつくりだすことができ、また事実作りだしたいろんな形が、その線描的図形の中に存在するということである。

植物文様の自然を損なう図形、反写実的図形

「美術様式論」p268


図126 彩描ギリシア唐草文様

半パルメットがその先端を外方へ歪曲する傾向については、第126図が好例を示している。


中韓の半パルメットの扇形は個々の葉型を描かずに、一つの曲面三角形に作り替え、それによって、ほとんどアラビア文様風に幾何学文様化している。

「美術様式論」p269


図127 前4世紀アッチカ式
レキトスの彩描唐草文様

図形は125図と根本において同一。窮屈な文様充填。不自由パルメットの並べかた、不自由半パルメットの終止。いずれも同じである、しかし、内部の曲線では実際の半パルメット扇形を許す空間がない。つまり地間充填の様式化が第64図のミケネの例と並んでいる。

平面形パルメット文様はローマ帝国時代に、控えめにであるが、つにに使用された。一方、ローマ帝国西部地方で葉アカントスの立体的・透視図的(パスぺクチブ)なパルメット文様が、次第に、決定的な優勢を示した。 

だが、最後期の時代(スパラト)でも、平面的様式化の撒水パルメットが同一唐草の内に、アカントス化したパルメットと交互に並ぶ例が存在している。
また植物性でなく、地間充填もない渦巻型唐草画ローマ帝国の最後期に至るまで使用された。
地中海の東部では、アッチカ美術の覇権時代にも平面的なタイプはそのままに常に保存され、特に偏愛して用いられ、西方が傾いていた写実的傾向とはっきり区別されるものであった。


「美術様式論」p269


図128 彩描ギリシア唐草文様

図127の分厚く歪曲した自由半パルメットは、葉型扇形の代わりに、曲面三角形をえがいている。葉型扇形がこの幾何学的図形のうちに事実上潜在することは、第128図でよくわかる。
半パルメットは線の輪郭によってとりまかれ、その中に明らかに葉型扇形が示されている。

「美術様式論」p270

芸術運動の中心、装飾発展の中心は西方にあった。
テオドル・シュライベルが望んだように、ヘレニズム装飾美術育成の最も有力な舞台を、アレクサンドロスに求めねばならないのであるが、この都会はその土地の郷土美術に著しい対比現象を示している。

その対比とは、オリエントの土地の上にギリシアの地盤を築いたことで、 ここにヘレニズム的でアレクサンドリア的な美術の姿がある。
華麗で豪華な材料を使っての、巨大な独裁君主的土木屋流な構造(セラペイオン)、巧妙な技術(アーチ工法)。
だが細かく見れば。ギリシアの形が細部に指摘され、上述したギリシア的芸術感情が守られている。

要するに植物唐草デザイン発展についての以上の一般的考察から次のように結論することができる
アッチカ美術の覇権時代の最後期に強力に成長した写実化の傾向は、オリエント化したディアドコス宮殿の美術にも妥当したに違いない。
従って立体的・透視図的パルメット、すなわちアカントスによるヘレニズム唐草デザインはひろい間口を保証されていたろう

そこで、次の問題は、コリント柱頭のカラッスをめぐって並べられているようアカントス全葉形を扱うのではなく、むしろ連続唐草につれて伸びてゆくアカントス半葉形、すなわち、いわゆるアカントス唐草を問題とする。

NEXT:10bアカントス唐草
ヘレニズム式(後期ギリシア式)およびローマ式唐草文様
BACK:9 アカントス文様の出現

リーグル美術様式論 目次

△ PageTop


唐草図鑑ロゴ

INDEX アカンサス ツタ ロータス ブドウ ボタン ナツメヤシ
唐草図鑑
目次
文様の根源
聖樹聖樹文様
文献
用語
MAIL
サイトマップ