唐草図鑑

古代ギリシア―ペルシア

これまでギリシアの陶器の歴史を陶画家を中心に見てきましたが、ここでもう少し、ペルシア戦争について見てから、「陶画で見るギリシアの神と英雄神話」といった視点から見ることにしたい。(以下再掲)

ギリシア文明が偉大だと言っても、なぜこうも好戦的で残虐な面があるのかと疑問に思わざるをえない。
それに対して、ヘロドトスはこう言っているという。

穏やかな土地は穏やかな人間を育むものである、大地の素晴らしい恵みと勇敢な戦士が同じ土地から育つことはない。; (ヘロドトス「歴史」9-122)

この言葉は「図説 古代ギリシア(John Camp、 Elizabeth Fisher 東京書籍 2004) の巻頭にあり、何か重要な言葉を聞いたように思った。

Herodotus 484 BCE – 420 BCE

ペルシア戦争

アケメネス朝ペルシア(紀元前550年 - 紀元前330年)
諸王の王 前550年 - 前529年 キュロス2世(初代)
前521年 - 前486年 ダレイオス1世(第4代)
前336年 - 前330年 ダレイオス3世(最後)

Dareios:BC521~BC486

リュディア王国滅亡(BC547)

Kroisos stake Louvre G197
紀元前5世紀初めのアンフォラ: 薪の山の上のクロイソス
Croesus at the stake. Side A from an Attic red-figure amphora, ca. 500–490 BC. From en:Vulci. Louvre Museum、G 197ルーヴル美術館

紀元前550年、アケメネス朝ペルシアがメディア王国を滅ぼす。ついで、 紀元前547年、ペルシアはリュディアLydia王国(首都サルデイスSaldis)を滅ぼす・・・・・
リュディアのクロイソス王がペルシア大王キュロスに捕えられ、生きたまま焼かれようとする場面 (この時殺されず、キュロスの参謀として生きたという)立派な椅子(台)である。月桂冠を冠り、左手に王笏をもち、右手のものは?・何をもっているのだろうか。(ちなみにニール・マクレガー著『100のモノが語る世界の歴史』の25番はクロイソスの金貨で「信頼に足る最初の通貨を世界に提供したのが、クロイソスだった。」という。→「100のモノ」

Darius-Vase
Darius aus Baumeister: Denkmäler des klassischen Alterums. 1885. Band I.; Tafel VI. Die Abbildung zeigt Darius auf der sogenannten griechischen Darius-Vase in Neapel, 1851 in Canosa di Puglia gefunden.
こちらの図はダリウス一世の肖像(パブリックドメイン)
同様な椅子に座る

こうして、ペルシアとギリシアの間の王国が滅びたので、「ギリシアとペルシアは直接向かい合うことになった」・・・


歴史 」 (岩波文庫 青 405-1)(松平千秋訳)の表紙は
キージの壺の陶画であった

ギリシア諸都市とペルシア帝国の争いは前5世紀、ついに両者の激突を迎える。「歴史の父」ヘロドトスが物語るのは、このペルシア戦争を頂点とする東西抗争の歴史である。(惹句)

ヘロドトス「歴史」目次(松平千秋) 
(第1巻クレイオの巻)

序説

伝説時代における東西の抗争

リュディアの盛衰
リュディアの古史(ギュゲスよりクロイソスに至る)
クロイソス
クロイソスとソロン
クロイソスとアドラストス
クロイソスの信託、
クロイソスとギリシア━アテナイ、スパルタの状況、スパルタとの同盟
クロイソスとキュロスの対決

ペルシアの興隆
メディアの歴史とキュロスの生い立ち
ペルシア、メディアより離反し覇権を掌握━ペルシアの風習
ペルシアの小アジア征服
小アジアのギリシア各市
リュディアの反乱とその鎮圧
ハルパゴスによる小アジア征服━ポカイア人の移住
バビロン征服
バビロンの都市の記述
バビロンの占領
バビロンの国土とその風習
マッサゲタイ遠征
国土の記述
キュロスの親征とその死
マッサゲタイの習俗

1.マラトンの戦い(BC490)


紀元前490年 マラトンの戦い
ペルシア王ダレイオス一世 VS 名将ミルティアデスに率いられたアテナイ陸軍

Miltiades、(紀元前550年頃 - 紀元前489年)


[図説 世界の歴史〈2〉古代ギリシアとアジアの文明 ](J.M. Roberts) p161の図
⇔※コロンビア大学の図https://www.college.columbia.edu/core/content・・
Croesus at the Stake, Attic Red Figure Amphora, c. 500–490 BCE.

デジタルメディアの充実化で(まだまだともいえるが)この、J.M. Robertsによる「図説 世界の歴史〈2〉古代ギリシアとアジアの文明 」 p161とp162の図版がなぜか左右逆である(ミス)ということがわかる。(本題には関係ありませんが。)

2.テルモピュライの戦い(BC480)

スパルタ王レオニダスと300人の兵士戦死(スパルタの重装歩兵300名を含むギリシア連合軍7000を率いて戦った)
アッティカのアクロポリスが落城、神殿は炎上

Leonidas I、 (在位:紀元前489年–紀元前480年)

この戦いのヒロイズム、「旅人よ、行きてラケダイモンの人に告げよ、 汝が命を守りて我らここに死せんと」‥この言葉は初め、なんで読んだのであったか・・これぞヒロイズム・・

(気になる戦いのいでたち)

[図説 世界の歴史〈2〉古代ギリシアとアジアの文明 ](J.M. Roberts)

上 図p164「ギリシア兵は慣習にのっとって裸体にコリント様式の兜だけで描かれているが、 ペルシア兵は対照的にひげを蓄え、東洋風の衣服をつけている」

下 図p165 「歩兵は脚を自由に動かせるように短いチュニックを着ている。 」


→下半身裸であったわけではない。「慣習にのっとって」描かれただけ・・・

ペルシアの兵士と戦うギリシア兵士だが・・いつの時代もスタンダールの言う「赤と黒」の世界、軍人(赤)と聖職者(黒)にとって、外見のカッコよさは、大事な要素であろうか!?
兜!!盾!!

Warrior spear CdM Paris DeRidder299
Warrior holding a spear under a rain of arrows; nonsensical inscription.
Attic white-ground black-figured lekythos, ca. 475–425 BC.

※ 「古代ギリシアの重装歩兵は「ホプロンhoplon」と呼ばれる盾を持って戦ったことからホプリテス(複数形でホプリタイ)と呼ばれた。」
korinthos.html#chigi_vase

アマゾネスのところでペルシア戦士の服装の意味を見たが、下はペルシア人による華麗なるペルシア戦士の雄姿。弓矢を負い、両手で槍をもつ。

Persian warriors from Berlin Museum.jpg
"Persian warriors from Berlin Museum" by photo by mshamma - http://www.flickr.com/photos/mshamma/111901098/ (Inventory)Pergamon Museum   Native name Pergamonmuseum Location Berlin Coordinates 52° 31′ 15″ N, 13° 23′ 47″ E    Established 1910. Website www.pergamon.de. Licensed under CC BY 2.0 via Wikimedia Commons.

(気になる「政治」)

ギリシア人が「政治」を発明したのもこの時代のことであった。
都市国家の理念は、基本的には重装歩兵の精神と同じだった。
「共通の目的のために、協力し合い、助け合い、規律の取れた行動をとらねばならない」[図説 世界の歴史〈2〉古代ギリシアとアジアの文明 ](J.M. Roberts) p145

3.サラミスの海戦(BC480)

「ギリシアの厳しい冬にそなえをしていなかった」ペルシア艦隊は惨敗(これは J.M. Robertsによる解説。(図説 世界の歴史〈2〉古代ギリシアとアジアの文明
Wikipedia(20151104閲覧)では、天才的な策略家テミストクレスが、「陸戦での戦闘の限界を見極め、海戦を制すればペルシアの大軍をも敗退させることができると考え」三段櫂船100隻建造(ヘロドトスによれば200隻)・・そして打ち破ったわけです。

Boat Cdm Paris 322 n1
Boats cup, detail of the interior showing a frieze of five boats in contest. Attic black-figured cup, ca. 520 BC. From Cerveteri.
所蔵 Cabinet des Médailles (パリ)

※Themistocles 、紀元前524年から520年頃 - 紀元前459年から455年頃ペルシアにて自殺
ギリシアの三段櫂船(トリエレス)

これで、実質的にはペルシア戦争は終わったのだという。和平まであと30年かかるようだが・・・・
(ペルシア戦争はWikipediaによれば紀元前499年から紀元前449年

歴史 」 (岩波文庫 )(松平千秋訳)

ヘロドトス「歴史」目次(松平千秋) 
第2巻  (エウテルペの巻)

カンピュセスのエジプト遠征(略)

第3巻 (タレイアの巻)

ダレイオスによる国内の整備と安定(略)

第4巻 

ダレイオスのスキュティア遠征(略)

アリュアンデスによるリビア攻撃(略)

第5巻 

メガバゾズによるトラキアおよびマケドニア攻略(略)

イオニアの反乱(略)

第6巻  

マルドニオスによるギリシア本土攻撃

ダティスおよびアルタプレネスによるギリシア本土侵入
 タソスの屈服
 ギリシアの情勢━特にスパルタの政情、クレオメネスとデマラトス
 ペルシア遠征軍、諸島を経てマラトンに達す
 マラトンの戦い
ミ ルディアデスのこと

第7巻  

クセルクセスのギリシア遠征
 ダレイオス、遠征準備中に死す
 クセルクセルの遠征準備
  重臣会議━アルタバノスの諌止と夢見 
  アトスにおける運河開鑿などのこと
 遠征軍の出発━発信よりサルディスを経てへレスポントスに至る
 ヘレスポント渡洋からドリスコスに至る━全軍の点呼━海陸両軍の部隊別記述
 クセルクセスとデマラトスの会話━トラキア、マケドニアを経てテルメに至る
 クセルクセス、ぺネイオス河口を視察
 ギリシア側の交戦準備
 クセルクセス軍、テッサリアを進撃
 テルモピュライの戦い

第8巻 

 アルテミシオンの開戦
 ペルシア陸上軍の進撃━アテナイ占領に至る
 サラミスの海戦
 クセルクセスの退却

マルドニオスによるギリシア本土作戦
  ギリシア水軍の準備態勢━マルドニオスの対アテナイ交渉

第9巻 

  マルドニオス、アッティカ侵入後ボイオティアに引き返す
  プラタイアの戦い

ペルシア艦隊の全滅━イオニアの開放及びその後の事件
 ミュカレの戦い
クセルクセスの邪恋
ギリシア軍によるセストス攻略
キュロスの訓戒

さて、この後は陶器画で見る古代ギリシア神話・・という方向で、続く~~ワクワク(20151104)「怒りを歌え。詩の神よ!」というわけだが、激情の人アキレスの話、『イリアス』・・・である・・・

「涙ぐみながら笑ってみせた」(『イリアス』6-484)

「我慢しろ、心よ。もっとひどいことを我慢したではないか。」(『イリアス』20-18)

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図説 西洋甲冑武器事典 三浦 権利 (2000/2)

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