唐草図鑑

ギリシアの古代都市

コリントス

ペロポネソス半島の入口
Korinthos (英: corinth)

コリント式オーダーに関連するギリシア古代都市の「コリントス」を少し詳しく見てみます・・。アテネから78キロメートルとか。

Kanal-Korinth-2011
コリント運河:1893年に完成:

ギリシャの「本土」とペロポネソス半島を結ぶコリントス地峡に位置するため、各種の交通路の結節点となっている。
「コリントス」は非ギリシア語源の語とみられ、おそらくドーリア人以前の先住民族の語である。ミケーネ文明の頃にはすでに繁栄していたと推測される。(Wikipedia20151014閲覧)

ArchaicGr

Political geography of ancient Greece in the Archaic and Classical periods

Ancient Corinth, Temple of Octavia columns

Ancient Corinth - Temple E

Ancient Corinth - Temple E“ von Ploync - Eigenes Werk. Lizenziert unter CC BY 3.0 über Wikimedia Commons.

アカンサスの柱頭の乗る太いずんぐりした円柱が3本ある上の光景は下の「世界美術大事典」の記述のあたりでしょうか。

三つの半円筒ヴォールトを持つアーチからなるアゴラの入口(プロヴュライア)からは、かっては両側に柱廊を備えた道路がコリントス湾岸のレカイオン港まで続いており、入口の両側には前1世紀の建築である大きなバシリカがたっていた。

コリント式オーダー(BCE1世紀)

Gemeindelogo von Gemeinde Korinth
Korinth logo“ von unbekannt - el:Εικόνα:Korinthos-logo.gif.
Lizenziert unter PD-Amtliches Werk über Wikipedia.

上は自治体のロゴ。 ちなみに、「コリント式オーダーとは、ギリシアの都市コリントスで最初に用いられたという伝説に由来する」と世界美術大事典にもあるとおり・・・。 ⇒バッスス神殿(1本だけのコリント式柱頭) ・・・コリントス式円柱については、オーダーのページやアカンサスのページで既に見た通り・・・

更に 「世界美術大事典」コリントスの項を見ると、

ギリシア人はプラトンが述べたように、池(地中海)の周りのカエルであった。(p103)植民活動の起原は前770年頃
前8世紀、ホメロスの用法では、「ポリス」すなわち「街」ということ語は「城塞」すなわち要塞化された場所を意味した。前6世紀末には、その意味するところは全く別のものになっていた。その時期には一つの精神上の態度を表明する言葉になっていた。(p104) ポリスは守護神たちを育み、オリュンポスの神々や女神、あるいは過去の英雄たちを安置かつ崇拝するための神殿や神社を要求する共同体であった。

ヘロドトスによれば、コリントスでは職人がギリシアの他の地方においてよりも大きな尊敬を享受していたという。
アルカイック時代のポリスが持つ組織化された制度に関するもっと早い挿絵のいくつかを見ることができるのはコリントスの美術家のおかげである。(p111)

既に前一千年紀初頭よりギリシア時代を通じて商業によって繁栄した都市であった。最も重要な遺跡が集中しているアゴラ地区以外にも、前6~前4世紀に年代づけられる大量の陶器を出土した「陶工地区」と呼ばれる遺跡地区がある

「もしコリントスが古代において破壊され、そしてのちに再建されなかったとすれば、我々はそこに最初期のギリシア神殿建築の跡を見出すことができたであろう」と、ナイジェル・スパイヴイは言う。(p112)

コリントスの美術はポリスが発展する頃のギリシアで生起した本質的な諸々の変化を反映している。(p114)

コリントス陶器

岩波の[ギリシア美術]に挙げられているもの(3つ)を見てみると・・

ギリシア美術 (岩波 世界の美術)
ナイジェル・スパイヴィNigel Spivey 著
福部信敏訳 (2000)

キージの壺

プロトコリントスのオルぺ

1. fig.56,57 「キージの壺」  前650年頃 
高さ26.2㎝ ヴィッラ・ジュリア国立博物館

Hoplites Chigi Vase https://en.wikipedia.org/wiki/Chigi_vase
ペロポネソス戦争:方陣密集隊(ファランクス)の交戦を表す部分
全体像はこちら→http://www.beazley.ox.ac.uk

Chigi vase
前 640年頃のギリシアの壺。呼称は旧蔵者の名に由来。イタリア半島中部の古代エトルリアの墓地から出土。原コリント陶器の代表的作例で,多彩色で戦闘や狩猟の場面を描く。器形はオイノコエ (片手つきの酒をつぐ容器) ,装飾はマクミランの壺絵画家と同一視されている。ブリタニカ国際大百科事典

新潮世界美術事典:キージの瓶(へい)

(キージの壺)

イタリアの名家キージ家旧蔵で、現在はローマのヴッルラ・ジューリア美術館にあるギリシア陶器。器形はオルぺー。
1881年(イタリア)ヴェイオVeio(ウェイ―イVeii)から出土
多彩式のプロトコリント式陶画の代表作で、マクミランの画家に帰せられる。
器面は3層に分たれ、 兵士たちの行進(上段)
パリスの審判、獅子狩り、騎馬の人々(中段)
兎狩り(下段)が描かれている。
前630年頃の作。
高さ26㎝。


プロト・コリントス様式 前7世紀 ウェイイ出土 
ローマ ヴィッラ・ジューリア国立博物館蔵

東方化様式

コリントスのピュクシス

2.fig.55 コリントスのピュクシス 前600~前575年頃 
高さ19㎝ オックスフォード アシュモリアン美術館Ashmolean Museum(Wikipedia

Protocorinthian Pyxis

「豊かなる」コリントス:東西双方の海を支配(p108)
コリントスの初期の様式は、地中樹の東の果て、特にレヴァントの影響を示している。 フェニキアの貿易商人たちはこの地方の美術家たちにアッシリアやヒッタイトの意匠やモティーフを提供し、その結果コリントスの壺の様式は、ライオン、スフィンクス、そして豹などによって占有された幾層もの装飾帯をもつ、東方化様式を実際に示すことになった

Eurytios Krater

コリントスのクラテル

3. fig.59 「エウリュティオス王の酒宴におけるヘラクレス」 前600年頃 
高さ46㎝ パリ ルーブル美術館

Eurytios Krater Louvre E635 n1

ヘラクレスが求愛した王の娘イオレと一緒に宴席について寛いでいる。  クラテルはシュンポしオンにあっては要の容器である故に、酒宴のイメージは最もそれにふさわしい。
(p112)

容器のもう一方の面には行動中の戦士が、一方の把手の下にはホメロスの英雄アイアスが自害するヴィニュッチが、そして容器を連続して一周する狭い方の装飾帯にはギャロップの騎馬隊が表現されている。 
シンポシオンの社会的機能━文字どおり、同じ舞台で訓練し、かつ戦った同士が、酒を飲み、叙事詩の吟唱に耳を傾けるために「一緒に集まること」━は、この陶器画の上に遺憾なく反映されている。(p112)

※Wikimediでは細部が何枚もの画像になっていますが、全体像は見られません。(20151015閲覧) 収蔵しているルーブル美術館のサイトで上の、大きな全体像が見られます。
コリントス小円柱型クラテル (通称エウリュトスのクラテル):ルーブル
他に、コリントス黒像式水がめ(テティスとネレイスによるアキレウスの哀悼):ルーブル

以上[ギリシア美術]に挙げられている代表作<3つ⇒
1.キージの壺(ローマ:ヴィッラ・ジュリア国立博物館蔵)
2.コリントスのピュクシス(オックスフォード:アシュモリアン美術館蔵)
3.エウリュティオスのクラテル(パリ:ルーブル美術館蔵)
これとは別に
コリントス陶器を⇒辞書とwikimediaでみてみます
※東方化様式という語はフルトヴェングラーによる


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