 岩波の[ギリシア美術]に挙げられているコリントス陶器の代表作はこちらで見ました⇒
岩波の[ギリシア美術]に挙げられているコリントス陶器の代表作はこちらで見ました⇒
1.キージの壺(ローマ:ヴィッラ・ジュリア国立博物館蔵)
2.コリントスのピュクシス(オックスフォード:アシュモリアン美術館蔵)
3.エウリュティオスのクラテル(パリ:ルーブル美術館蔵)
ここでは、その他のものも見てみます。
新潮世界美術辞典:ギリシア陶器
幾何学様式時代にはアテーナイが陶器製造の中心であったが、いわゆる東方化様式時代からはコリントスの製品(コリントス陶器)が他を圧倒した。
前6世紀にはアッティカが再び陶芸の中心地となり、黒像式の画法を完成させた。 
新潮世界美術辞典:コリントス陶器
前8世紀末から前6世紀半ばまでコリントスでつくられた陶器
 ほとんど輸出用
前7世紀末半ばすぎまで:前コリント様式
・・代表作「キージの瓶(へい)」(※)
それ以降6世紀半ばまで:コリント様式
 香油用小瓶がほとんど(アラバストロン、アリュバロスンド)
(コリントスは有数の香水の産地)
初めは花文、鳥・魚文などをまばらに配していたが、やがて器面を水平にいくつかの帯にわけて装飾するようになる。
器形が大きくなるにつれて、獅子、スフィンクス、グリフォン、セイレーン等の動物の連続文を愛用し、のちの黒像式の前駆をなす掻落(かきおとし)の技法を導入し、紫、暗紅、白などの色彩を巧みに配する。
更にクラーテールのような大器には、神話伝説を表す図が広い部分を占めるようになる。
コリントス陶器は、僭主キュプセロス(Kypselos,前610-前580頃)以後アッティカと覇を競う程盛んになったが、前550年頃なぜか突然に衰微してしまった。
新潮世界美術辞典:東方化様式 orientalising style
ギリシア陶器で、幾何学様式に続くアルカイ(ッ)クの初めにあたる前7世紀前半の様式を、フルトヴェングラー以来こう読んでいる。
前8世紀末からギリシアの植民地建設が盛んになり、厳格な幾何学様式は東方の先進諸国(エジプト、メソポタミア。シリア、フェニキアなど)と接触して次第にほぐれ、形、色彩、特に文様(ハス花、パルメット、スフィンクス、有翼獣、獅子、表、および種々の混合形態など)の上で東方の影響があったと考えられている。
キュプロス、ロドス、メ―ロスの諸島やコリントス、アッティカにおいて特徴のある機器が生まれた。
世界美術大事典:コリントス陶器
質よりもむしろその生産量の豊かさを誇り、地中海全域に輸出されて広まった。
 装飾法: 
器面をいくつかの水平層に分け、そこを動物文や種々の文様で埋める⇒
黒像式技法に移る
白や赤の色彩を補足的に用いたり、
黒く塗りつぶした像の細部を刻線で示したりする
⇒
素地の上に輪郭線で図像を描きだす技法へ発展し、素地はアティカ陶器の赤の顔料に匹敵するような黄赤色の顔料で上塗りされた。
最も普及した装飾主題
戦士、馬車、現実界の動物と交互に配された想像上の生物、神話的場面、狩猟場面、腹の突き出た特徴のある小さな踊り手(コマスタイ) 
主な器型は、アリュバロス、オイノコエ、柱型クラテル、アラバストロンがある。
アッテイカ陶器の模倣に堕す前の最終段階は「白の様式」と呼ばれ、幾何学モティーフや花のモティーフがもちいられる。
Wikipedia :古代ギリシアの陶芸(20151014閲覧)
 この項目はすごいですね
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黒像式(こくぞうしき):人物像などをシルエットで描き線刻で詳細な描写をするという技法で、紀元前7世紀のコリントスで発明された。
「アキレウスとペンテシレイア」エクセキアス作。紀元前540年ごろ(大英博物館)
コリントス産の黒絵式陶器については Humfry Payneや Darrell Amyxの研究に詳しく、動物と人物が並行して主題として描かれている。 
動物を主題とした絵は花器や壷に多く、初期のコリントス産陶器に見られる。コリントスの絵付師らは次第に人物の描写が上達していき、帯状の動物の絵が小さくなり、人物を描写した場面が大きくなっていった。
しかし、紀元前6世紀中ごろまでにコリントスの絵付師の腕はひどく低下し、一部の絵付師はアテナイの陶器を真似て地の色をスリップ(液状粘土)で赤く染めるまでになった。
黒絵式が様式として完成したのはアテナイである。
 Wikimediaの方の Corinthian black-figure pottery も充実していました
Wikimediaの方の Corinthian black-figure pottery も充実していました
 
Early corinthian Alabastron depicting two facing Roosters;
Cock Painter, ca. 625/600 B.C.;
Museum of Cyclydic Art Athens N.P. Goulandris Collection 1062.

"Skyphos genius animals Louvre MNB2030
ウィキメディア・コモンズ
アリュバロスの形状は、紀元前9世紀の幾何学文時代に作られた球形のワイン壺、オイノコエに由来しています。翌世紀のプロトコリントス時代には、球形から卵形、円錐形を経て、最終的に球形に戻り、最終的な形状が完成しました。この最終的な形状は、広く平らな口と小さな把手を備えています。Aryballos―en.wikipedia(閲覧20251027)

  Aryballoi were used by athletes to hold oil that was rubbed onto the body before exercise or competition (Miller 2004, 14-15). They often appear hanging by a small strap from athlete's wrist in gymnasium scenes. 
circa 625 BCアリュバロスは、運動選手が運動や競技の前に体に塗る油を入れる容器として使われていました (Miller 2004, 14-15)。体育館の場面では、小さなストラップで手首にぶら下げられたアリュバロスが描かれることが多い。
紀元前625年頃
 「体育館の場面では、小さなストラップで手首にぶら下げられたアリュバロスが描かれることが多い。」または、「入浴時に運動選手が使っている姿がよく描かれている。これらの描写では、容器はストラップで運動選手の手首に固定されていたり、ストラップで壁の釘に吊るされていたりする。(Aryballos―wikipedia)ということを確認しようとしたが、見たような気がする、という感じで具体例は今見当たらない。
「体育館の場面では、小さなストラップで手首にぶら下げられたアリュバロスが描かれることが多い。」または、「入浴時に運動選手が使っている姿がよく描かれている。これらの描写では、容器はストラップで運動選手の手首に固定されていたり、ストラップで壁の釘に吊るされていたりする。(Aryballos―wikipedia)ということを確認しようとしたが、見たような気がする、という感じで具体例は今見当たらない。
手首―ハント博物館(アイルランド)
en.wikipediaによれば、現在、多くのアリュバロスはメトロポリタン美術館 とアクロポリス博物館に収蔵されていいる、(20251026閲覧)

so-called Amphiaraos Krater Artist	Amphiaraos Painter
Side A: a frieze of horsemen and above it the departure of Amphiaraos. Side B: a frieze with hoplites in battle and above it funeral games for Pelias (chariot race). 
Wrestlers under left handle. 
Date	between circa 570 and circa 560 BC
 まとめとしては、
まとめとしては、
1.前8世紀末から前6世紀半ばまでコリントスでつくられた陶器ほとんどは輸出用で、いわゆる東方化様式時代からはコリントスの製品(コリントス陶器)が他を圧倒したこと。 
2.黒像式の技法は紀元前7世紀のコリントスで発明されたこと。初めの帯状の動物の絵が小さくなり、人物を描写した場面が大きくなっていったこと。
ということで、
以下は再掲です:[ギリシア美術](ナイジェル・スパイヴィ)に挙げられている、見るべきコリントスの代表作3つ
1.キージの壺(ローマ:ヴィッラ・ジュリア国立博物館蔵)
2.コリントスのピュクシス(オックスフォード:アシュモリアン美術館蔵)
3.エウリュティオスのクラテル(パリ:ルーブル美術館蔵)
岩波の[ギリシア美術]に挙げられているコリントス陶器の代表作はこちら:ギリシアの古代都市
コリントス
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