唐草図鑑
聖樹聖獣文様

古代オリエントの衣服史


カウナケス、ズボン、リボン

me豹の毛皮を着る, 最古のモードカウナケス、・・とみてきましたが、このほかに、中世のゲルマン人の衣装=ズボンの勝利(※)とか、ササン朝ペルシアのフヴァルナ―、ディアディムとかリボンのついて輪、裾が半円形に湾曲したエプロン型上着(apron-shirt)等を切れ切れに見てきました・・以下少々再掲)

『図説 ヨーロッパ服飾史』徳井淑子著(p4)
窄衣型の衣服は、実は古代文明を誇ったギリシア人やローマ人には見られなかった
ヨーロッパ服装の原型は後進のゲルマン民族の服装にあり、古代文明を開花させたギリシアやローマにはないのである。

Shapur II and Shapur III
エプロン型上着(apron-shirt)

meここで、『古代オリエント事典』p134-135の10の図を見てみます


図1 マリ出土の代官エビル・イル
図2 テロ―出土のグデア王
図3 エラム王ウンタシュ・ナピリシャの妃のナピル・アス王妃
図4 ニムルド王宮の守護神像
図5 グレイオス大王
図6 ネムルト・ダ―出土のアンティオコスとミトラの浮彫
図7 ハトラ王アットルウ
図8 パルミラの婦人像
図9 ナクシェ・ロスタムのナルセフ王
図10 ターゲ・ボスターンのアルダシール2世

紀元前3千年紀

Ebih-Il Louvre AO17551 n01
Statue of Ebih-Il, intendant, Early Dynastic.
ルーブル美術館所蔵ヌ・バンダ、エビフ・イルの彫像

me ここで、「カウナケス」という用語だが、上の写真(紀元前3千年紀)のイメージが強く、腰の部分を覆う、毛皮或いは毛織物の衣類(腰布)という感じなのだが、そうではなくて、

この時代の「毛房のある腰布に始まり、斜めに巻き左肩にかける巻き衣、全身を覆う毛房の衣」 (P153)という衣類の総称と見る見方もあるのかもしれない。
「古代オリエント事典」ではそれは採用していないが

以下図を検索します、

前2千年紀

Gudea, Prince of Lagash 3, Paris June 2014
テロ―出土のグデア (ルーブル美術館)

巻き衣を前から後ろに一巡させ、脇に挟んで留めている


Gudea of Lagash Girsu
グデア王(ルーブル)
Gudea, prince of Lagash, seated statue
dedicated to the god Ningishzida

前3千年紀に見られた毛房のあるカウナケスから、布端にフリンジのある幅広の長方形の布で体を巻き、左肩ろ左腕にかけるスタイルに変化
バビロニア ハンムラビ王はこのスタイルである (P153)

 A.Moortgat Art of Ancient Mesopotamia(1969)Bettmann

古代メソポタミアの「棒と輪」 でみた、「棒と輪」の手渡し図ハンムラビ法典 再掲( 図説 メソポタミア文明 (ふくろうの本/世界の歴史) 』前川和也編p84 図6

前2千年紀末

Babylonian - Boundary Stone - Walters 2110
Limestone kudurrufrom the riegn of Marduk-nadin-ahhe(Wikipedia)
マルドゥク・ナディン・アッヘ(在位以前1099-82)
矢印境界石クドゥル( Limestone kudurru)

半袖で踝まであるチュニックに腰の周りにフリンジ付きショールを巻き太いベルトで固定

亀甲亀文紀元前11世紀王の盛装
https://avantdoublier.blogspot.jp/2007/12/blog-post_17.html


Statue of Napirasu
Statue of Napirasu, wife of Untash-Napirisha
図3 エラム王ウンタシュ・ナピリシャの妃のナピル・アス王妃の立像 (ルーブル)

長いフリンジの文様入りロングスカートの上から腰に襞を取ったショールが巻かれている。
上衣にも全体に文様がある

エラム王ウンタシュ・ナピリシャ 中エラム王国

キング・オブ・エラム
1340-1300 BC
Untash Napirisha stele Louvre Sb12
Stele of Untash Napirisha, king of Anshan and Susa. Sandstone, ca. 1340–1300 BC, brought from Tchoga Zanbil to Susa in the 12th century BC.
; fish-tailed woman holding snakes

me ここでのテーマと少しずれるが、この図像は興味深い。 二股のセイレーンに関連している。
Untash-Napirisha(Wikipedia)の図である


前1千年紀前半

アッシュル・ナツィパル2世
腰のベルトはさらに太く、フリンジ付きのスカーフは腰の後ろを覆うだけ

Ashur-nasir-pal II huntAshurnasirpal II(在位:紀元前883 - 紀元前859)
新アッシリア王国の王、新都カルフ(ニムルドNimrud)を建設
Ashur-nasir-pal II throne

もう一つのスタイルはチュニックの上にウエストから足首まで、
長方形の布を幅違いに折って、フリンジを段状にして巻いている。
そして上半身に半円形のショールを巻いている(古代オリエント事典p153)

Relief with Winged Genius
図4 ニムルド王宮の守護神像

半袖の上衣に膝上の腰布をベルトで固定し、その上から
フリンジのついた布を巻き付け、左肩にかけ、後ろに垂らしている


me 下の図は初めて見ましたがちょっと趣が違うようだ


Wall relief with two winged spirits venerating a sacred tree and King Ashurnasirpal II inscription, Nimrud, Northern Mesopotamia, Neo-Assyrian dynasty, c. 884-859 BC, alabaster - Royal Ontario Museum - DSC04528
Wall relief with two winged spirits venerating a sacred tree and King Ashurnasirpal II inscription, Nimrud, Northern Mesopotamia, Neo-Assyrian dynasty, c. 884-859 BC, alabaster - Royal Ontario Museum

コルサバード(古代名:ドゥル・シャルキン)の浮彫に見られる貢物を運ぶ人々には当時の異国の服装があらわされている。彼らは半袖で前の開いた外衣をチェニックの上からはおっている 羽織っている※アッシリアの王サルゴン2世が建設した都市 紀元前707年から同王の死までアッシリアの首都だったがセンナケリブ王によって首都はニネヴェに移された
Dur Sharrukin is an ancient city of Assyria, now Khorsabad in Iraq. The ruins of king Sargon II's city and palace were excavated there in the 1840s by the French consul at Mossul, Pierre-Émile Botta. Reliefs from the palace can now be seen at the Louvre Museum and the British Museum.

Genie poppy Dur Sharrukin Louvre AO19869
これまた、ここでのテーマに関係ないが、面白い図を発見した。
これまたルーブルにあるようだ
Genie with a poppy flower. Relief from the Palace of king Sargon II at Dur Sharrukin in Assyria (now Khorsabad in Iraq), 716–713 BC.

Person ibex poppy Dur Sharrukin AO19872
Person holding an ibex and a poppy flower. Low-relief from the m wall of king Sargon II's palace at Dur Sharrukin in Assyria (now Khorsabad in Iraq), c. 713–716 BC. From Paul-Émile Botta's excavations in 1843–1844.

Hero lion Dur-Sharrukin Louvre AO19862

Sculpted reliefs depicting Ashurbanipal, the last great Assyrian king, hunting lions, gypsum hall relief from the North Palace of Nineveh (Irak), c. 645-635 BC, British Museum (16722368932)

殺したライオンに奠酒する(てんしゅ 酒を供える)アシュルバニパルは裾にフリンジのついたチュニックを着ている。そのチュニックは全体に文様がある。(※その図は見当たらない)

Ashurbanipa(在位前669年~前630年)

British Museum - Room 10 (16676659245)

メソポタミアの歴代王朝を通じて、服装の根幹をなすのは布を巻くことであった(古代オリエント事典p154)

アケメネス朝ペルシア時代

アアケメネス朝ペルシア帝国の衣服は、今まで述べてきたものと違って、ぴったりしたコートとズボンで構成される。このズボンスタイルは北アジア、中央アジアの騎馬民族に始まる(p154)

図5 グレイオス大王
Darius In Parse

身長の倍の長さに折られた長方形の布を二つに折り、袖口と頭部を開けて、そこから頭と腕を通す貫頭衣であるが、ウエストをベルトで締め、腕をたくし上げてドレープを出し、また袖にゆとりをもたせる着方である。ローブの下に細身のズボンをはいている。(p154)

矢印手に持っているものは右手に権杖、左手に手草

ペルセポリスの王宮の大階段の浮彫にあるペルシア人やメディア人の儀仗兵は、王と同様の衣服のものもあれば、チュニックにズボンといういでたちのものもある。

セレウコス朝・パルティア王国時代

古代イランの王朝(前247年-後224年)

ネムルト・ダ―出土のアンティオコスとミトラの浮彫で王は長袖のチュニックを着、ゆったりとしたその下部を帯で足の間をたくし上げている 
チュニックの下にはぴったりとしたズボンをはきその上にマントを羽織り、ギリシャ・ローマ風に右肩で留めている(p155)

Mithras and Antiochus I shaking hands
図6 ネムルト・ダ―出土のアンティオコスとミトラの浮彫

シャーミー出土のパルティアの君主はV字形に打ち合わせた腰までの上着を着てベルトを締め、下には行縢(むかばき「向こう脛巾(はばき)をつけ、ゆったりとしたズボンを穿いている (p155)

ハトラ王アットルウの像もゆったりしたズボンに金属製飾りのついたチュニックを着
腰にゆるいベルトを締め、上にコートを羽織っている(図7)

Zahhak castle stucco 2


ウタルの像、カトゥラ王、2 世紀。AD イラクのモスル博物館(破壊前)
https://premudrosti.in/index.php/history-of-knitting

ParthianInChains Hatra-Ruins-2006-2
Parthian ruled and capital of the first Arab Kingdom, Hatra,
also known as the City of the Sun god was built circa 150 BC.
Hatra contains the temple of Shamash, spirit of the sun,
and the shrine of the goddess Shahiro, the morning star.

パルミアの彫像もゆったりしたズボンにチュニックである。チュニックの前立てや裾周りには、綴織りで植物文様が織り出されている。
ハトラやパルミラの婦人は長いドレスの上に薄手の樹織物や麻織物を巻き付け左肩で止めてドレープを取り、ゆったりと着つけている、頭にはベールをかぶっている。
聖職者は綴織で赤紫のH形文と方形文を織り出したマントを巻き付けている。
綴織でも文様を織り出したチュニックやH 字形のマントは、パルミラ、アッタール、ドゥラ・エウロポス及び手紙の洞窟で発見されている

https://www.cieliparalleli.com/Appunti-di-Cronaca/

ササン朝ペルシア時代

Naqsh-e Rustam 5
図9 ナクシェ・ロスタムのナルセフ王
Naqsh-e Rustam (Wikipedia)イランのペルセポリスの北にある巨岩の遺跡。

再び伝統的な衣服に戻るが、衣服は以前のようないシンプルなラインではなく、薄いシルクは風にそよぎ波打ち、アクセントのリボンで豊かに飾られる
ナクシェ・ロスタムのナルセフ王はこのような衣服を着た姿であらわされる

Taq-e Bostan - High-relief of Ardeshir II investiture
Taq-e Bostan: high-relief of Ardeshir II investiture; from left to right: Mithra, Shapur II, Ahura Mazda. Lying down: dead Roman emperor Julian.

図10 ターゲ・ボスターンのアルダシール2世

ゆったりとしたズボンにチュニックを着、チュニックの両脇で裾をたくし上げている。まt、方から腕の下に飾りベルトをたすき掛けにしているl。ウエストベルトには大きい棒を結び、腰には剣をつるすベルトを回している。アナーヒターに代表される女性の衣服はロングドレスであるが、他にブラウスと長いスカートの組み合わせもある。たなびくリボンがササーン朝ペルシアの特徴である。(『オリエント事典』p156 坂本和子

me古代オリエントの衣装「カウナケス」がどうなったかということが課題であったが、フリンジや、腰を覆うショールに伝統の継続を感じることは感じた。
「最古のモード カウナケス」(下山)にある「 最古の都市文明シュメールの時代からオリエント一帯で一般的となり、その後実はヨハネの象徴、牧人のシンボルとして、5000年もの長きにわたってヨーロッパの服飾文化を代表した」という論点については、ここでは(オリエントでは)5000年続くのかどうか、認められなかった。しょっちゅう出てくる 「チュニック」の起源の方も問題であった・・

この後はベックマンを参照します
ベックマンによる毛皮の衣服の起源

 

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矢印オリエントの文様

矢印オリエントとは
麦と山羊
ウルクの大杯(ワルカの壺)
ウルのリラ(ウルの「スタンダード」)
シュメールのカウナケス
古代オリエントの衣服史
ベックマンによる毛皮の衣服の起源
シュメールの神(エンリル、イエンナ)
バビロンのヘビ(主神マルドゥクと聖獣ムシュフシュ)
シムルグ

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