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黙示録写本から:Andreas of Caesarea's Commentary on the Apocalypse

ヨハネの「黙示録」写本

me最後に、これまで見てきた小河 陽訳『ヨハネの黙示録』(岩波書店 1996) の巻末 解説、石原綱成著「『ヨハネの黙示録』の図像学」を要約引用します。ヨハネの「黙示録」写本まとめになる項目あり。

me 『ベアトゥス注釈書』とは
beatus.html

スペインの神学者,リエバーナLiébanaのベアトゥス Beatus(798没) の著した『ヨハネ黙示録注釈書』 (10世紀中頃写本,ニューヨーク,モルガン図書館。975写本,ジローナ聖堂) 。同書は次々と挿絵を入れて転写され,スペインからフランスにいたって,ロマネスク美術の形成に大きな影響を与えた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典(コトバンク20200701閲覧)

「ヨハネの黙示録」の図像学

小河 陽訳『ヨハネの黙示録』(岩波書店 1996)
p151‐167

 石原綱成

一.ヨハネの黙示録と図像成立の背景

黙示録文学は紀元前2世紀から紀元後1世紀に隆盛を極めた文学形式
ダニエル書、エノク書、第四エズラ書、パルクの黙示録

ヨハネ黙示録の図像は、初期キリスト教美術からカロリング美術、ロマネスク美術、ゴシック美術、更にミケランジェロ、ファン・アイク、デューラー、ハンス・メムリンク、エル・グレコなど、各時代のさまざまな様式の中で描かれ、多くの傑作を生み出した。

しかし、ビザンティン美術では黙示録は宗教図像から除外されていた。
ビザンティン美術の理念は古代ギリシア・ローマの古典主義的伝統の下、すべての現実は宇宙の中で空間的に互いに秩序づけられている。人間理性を超越する不可思議なヴィジョンの連続など入り込む余地がない。(p154)

(西方教会) キリスト教美術の起源はローマのカタコンベの壁画
小羊、魚、良き羊飼いなどの独自なシンボル、象徴的要素を持っており、そこから新しい芸術の展開が始まった。
キリスト教が公認されると、教会堂のモザイクに受けつがれる。

バティカンのサン・ピエトロ聖堂の内陣モザイクには、シオン山上の子羊が描かれ、その他さまざまな黙示録の象徴、すなわり「アルファとオメガ」「神の玉座」「四匹の生き物」、「二十四人の長老」、「七つ角と七つの目を持つ小羊」、「新しいエルサレム」、「命の水が湧く泉」などが描き込まれる。(p154)

meここにある、サン・ピエトロ聖堂の内陣モザイクという、その細部を見たいと思ったが、あまりに広大で、かつ改築されて、どうなったのかよくわからないままである。 http://www.ohoka-inst.com/20190601-2.pdf


Photo by M 20170531@ヴァチカン サンピエトロ聖堂

 
 アルファαとオメガΩ

黙示録のシンボルの最古のものは「アルファとオメガ」
キリスト教会を表わすものだったが、次第に異教に対する勝利を意味するようになった。

me他の項は見てきたが、「アルファとオメガ」 はよく見てないので
→続く。https://www.seisen-u.ac.jp/library/

シオン山上の子羊:400年頃から教会内のアプシス(内陣)にあらわれる。小羊の立つ楽園から四つの命の水が流れる川が描かれるが、これは洗礼のシンボル。

me川の周りの植物を見ていました→

黙示録の全体が一つの構図として実現されるのは、
ローマのサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラのモザイク(5世紀中頃)
サン・パオロのモザイクは中世をとおして盛んに取り上げられ、6世紀~9世紀はじめまで、モザイク画に継承される。

Rom, Sankt Paul vor den Mauern (San Paolo fuori le mura), Innenansicht 3
Rome, Interior of Basilica of Saint Paul Outside the Walls
(4人の天使、24人の長老)

最古の黙示録写本挿絵がヴァランシエンヌValenciennes(北仏蘭西)、カンブレCambrai、トリールTrier(独逸)に現存することは、黙示録のイメージがアルプス以北で独自な展開を遂げたことを意味する。しかしそれらはペン画でプリミティヴ。

それに対しハインリヒ二世のためにつくられたバンベルクの黙示録は古典古代の復興を目指い、人物像の表現に重点が置かれている点で興味深い。
Category:Bamberg Apocalypse

The Holy Tunic of Jesus Christ in Trier, Germany
The Holy Tunic of Jesus Christ in Trier, Germany
meちょっと脱線だが、キリストの着ていたチュニックという聖遺物が、
このドイツ最古の大聖堂(世界遺産トリ―ア大聖堂)にはあるらしい・・

二.図像の歴史

1.全体像
初期キリスト教美術に黙示録の図像が現れるようになるのは、ニカイア公会議(325年)以降。キリスト教の教義の基盤ができてから。 
初期はキリストの賛美を目的:主として「玉座の幻視」、「シオン山上の子羊礼拝」、「新しいエルサレム」の場面
その他にはキリストのシンボルが黙示録の場面に組み込まれ、 神のもとに高挙されるキリストの栄光と結びつき、「玉座のキリスト」像を生み出す。
「玉座のキリスト」から「マエスタ・ドミニ(荘厳のキリスト)」と呼ばれる光の環(マンドルラ)に囲まれた構図が成立。
ユスティアヌス期に黙示録図像は礼拝の際、中心的役割を果たした。

コンスタンティノポリスの教会会議(629年)で小羊の図像をキリストのシンボルとすることが禁止されてしまう。

さらにその後の東方では8‐9世紀のイコノクラスム(聖像破壊運動)により、ヨハネ黙示録の連作は発展しなかった。
対照的にローマでは、5世紀ごろから黙示録の大規模な図像が現れ、ローマのサンタ・プラッセデ教会のアプシスには、二十四人の長老がキリストに冠を差し出している場面がある。
サンタ・コスマ・エ・ダミアーノのモザイクでは、黙示録第五章の場面が大規模は図像構成で描かれている。

Apsis mosaic S Prassede Rome W6
*ローマのサンタ・プラッセデ教会のモザイクhttp://little-puku.travel.coocan.jp/
Basilica of Saint Praxedes

Cosmedamiao9b5
*サンタ・コスマ・エ・ダミアーノのモザイク
Basilica dei Santi Cosma e Damiano(wikipedia

me正面の聖母マリアで描かれた仔羊が隠れているようだ。

https://pin.it/3Ll6zeU
https://www.picturesfromitaly.com/

Basilica dei Santi Cosma e Damiano arco di trionfo

4世紀中頃から、「玉座のキリスト」には終末論的象徴が与えられ、キリストと子羊は神を崇拝する場面と 結びつくようになる。

Saint John on Patmos

6世紀になると、一層大規模になり、サンタ・マリア・マッジョーレ(5世紀初)やサンタポリナーレ.ヌオヴォ(6世紀初のアプシスに別の場面が取り入れられるようになる。(連作ではない)

6世紀ごろになると黙示録の連作が描かれるようになったという美術史上の憶測がしばしばみられるが、それは8世紀以降のカロリング期の黙示録写本に古代後期の先例に倣った部分があるということを根拠にしていた。
しかし、10世紀以降のベアートゥス写本にはカロリング美術からの影響は見られない

カロリング期から黙示録写本は連作の形をとるようになった。(p157)

Jacopo torriti, coronation of the virgin, santa maria maggiore, rome
Jacopo torriti, coronation of the virgin, santa maria maggiore, rome

meどうしてもサンタマリアなのだろうか・・
ここでも,天井に近いアーチの部分に描かれて(残って)いるようだが。下記に、初期のモザイクは失われたとある。
Santa Maria Maggiore apse mosaic
http://stefanosandano.com

https://www.wga.hu/The Early Christian church was erected by Pope Sixtus III (432-440) and its mosaic decoration in the nave and the apse also date from this period.
The Early Christian apse mosaic has been lost, having been replaced by the one by Jacopo Torriti during a redesign of the entire choir
area under Pope Nicholas IV (1288-1292) who commissioned the replacement without entirely changing the original subject matter and retaining the bust of the Saviour, believed to have appeared miraculously at the time of the basilica's consecration.

大聖堂の彫刻は個別作品を生み出す結果となり、12世紀には主要な彫刻群が成立。二十四人の長老が、ティンパヌム(聖堂の入口上部の半円形の小壁)に作られる。

13世紀後半になると、ランス大聖堂西正面に黙示録の彫像が数多く作成される。

meランス大聖堂なのだが、wikipediaをみると、第一次世界大戦で1914年に爆撃されたというのがメイン。西正門入口の有名な彫像は、聖母マリアの物語を描いた彫像という。ノートルダムであるから、そうなるのか・・・下の写真には子羊がいた。

Statues Portail Sud Façade ND de Reims
Statues Portail Sud Façade ND de Reims
西側の正面玄関の右側のポータルにある預言者の像、
または「クリストフォリック」

ステンドグラスは13世紀より現れ、タピストリーや板絵は14世紀ごろから。

写本挿絵は15世紀の中頃より一般的になり、やがて木版画の連作に発展する。

黙示録の本文がいつ、どのような理由で聖書から独立して独自な注解書を生み出したかについては、はっきりしていない。
しかし9世紀初よりすでに始まり、やがて黙示録本文は挿絵入りで聖書から完全に独立する。

復活祭とペンテコスタ(聖霊降誕債)のあいだの典礼で、盛んに黙示録が引用されるようになる。その結果、黙示録のテキストの必要性が高まり、挿絵付きの黙示録が造られる。その中で最も有名なのが、ベア―トゥス『黙示録注釈』写本である。

*現存するベアトゥス本http://holzweg.web.fc2.com/

2.写本芸術
中世初期の写本でリエバーナのベアートゥスによる『黙示録注釈』、いわゆる「ベア―トウス写本」程数多く残っているものはない。
32部現存し、そのうち25部はほぼ完全な状態にあり、22部はミニアチュールが施されている。
各写本の成立年代は10世紀から13世紀初めが大部分で、例外的に16世紀初期の写本が2部伝えられている。


現存の18部は940年から1292年までの間に集中。
用紙は羊皮紙、字体は11世紀末までは西ゴート文字、後代になるとカロリング文字およびゴシック文字

西ゴート王国(ラテン語: Regnum Visigothorum、415年 - 711年)は、現在のフランス南部からイベリア半島にあたる地域を支配したゲルマン系王国。
ゴート文字wikipedia
カロリング文字wikipedia)西暦800年から1200年ごろにかけて、
神聖ローマ帝国で使われた。近代の書体の手本
*英語では、ゴシック体(Gothic Script)と言うと通常はブラックレターを指す
ブラックレター
 (Blackletter) は、 西ヨーロッパで12世紀から15世紀にかけて使われていた。
*ゴシック体(wikipedia)西洋において「Gothic」というと単に「ローマン書体以外の文字」という意味、East Asian Gothic typeface

meゴシック体については初見、そうだったのか‥と。

Royaume wisigoth2
*西ゴート王国建国時の首都 トロサ(トゥールーズ)

例外はパリ国立図書館にあるサン・スヴェールのベアートゥス写本で11世紀のものであるが、カロリング文字で筆写され、装丁には皮革、ミニアチュールにはすべて彩色。

https://syumei1.com/codex-beatos/saint-sever-beatus

現存するベアートゥス写本の最古のものは、マドリード国立図書館に所蔵されるもの、ヴァレラニーカ修道院作成。
次は、エスコリアルのモナステリオ王立図書館にある、サン・ミリャーン・デ・ララ・コゴーリア修道院で10世紀中頃から末に作成された。

*ヴァレラニーカ修道院❓不明
*王立サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル修道院Monasterio de El Escorialwikipedia

ベアートゥス写本は署名、日付、制作場所が記されている点で、他の一般の写本とは異なっている。

ベアートゥスの『黙示録注釈』が10,11世紀に広まった理由は、まず、キリスト生誕千年頭という黙示録の義人千年説に随えば、「最後の審判」の期待される年の近くであったことに由来。

ヨハネ黙示録がイベリア半島で尊ばれ、広く読まれた理由の一つは、そこにおけるキリスト教徒の置かれた立場が、黙示録の書かれた時代のローマ社会におけるキリスト教徒の立場と相似するものが多かったから。(木間瀬精三「修道士ベアートゥスべ「黙示録註解」写本」「キリスト教美術の誕生と生成」(聖心女子大学キリスト教文化研究所、1983 p3‐9)

※木間瀬精三. きませ せいぞう. 1911 - 2013.

11世紀初め、ハインリヒ2世のために作られた豪華本バンベルクの黙示録は、ベアートゥス写本と全く異なり、
古典古代を復興させようとしたシャルルマーニュの意図を反映させ、人間像の表現に重点、

『ザンクト・エムメラムの福音書』(ミュンヘン国立図書館)や『サン・メダールの福音書』(パリ国立図書館)などにも、ローマのモザイクにあるキリストや小羊の図像からの影響が見られる。


シャルルマーニュの古代復興政策は、ローマ帝国没落後西ヨーロッパに蔓延したプリミティヴィズムや抽象主義の美術に抵抗して、古代美術を通して理想的人間像を表現しようとするものであるが、それを最もよく表しているのがこれらの豪華本である。(吉川逸治『ロマネスク美術を求めて』美術出版社1979 p138‐139)

*世界大百科事典内のトゥール派の言及 【カロリング朝美術】 カロリング朝写本芸術の末期を飾るのは,> カール2世(禿頭王)の宮廷に関連するといわれる 《ザンクト・エンメラムの聖書》をはじめとする一連の豪華な作(コトバンク


me越宏一さんの『ヨーロッパ中世美術講義』に図像あり。2015k/tyusei_koshi_8.html(要再読)

三.ヨハネ黙示録の主な内容と図像

福音書記ヨハネが煮えたぎる油の中で殉教する場面
(黙示録本文にはない)
「人の子がヨハネに黙示を与える」

「玉座のキリスト」

「神の子羊」

「黙示録の四騎士

「殉教者の甦り」

「第六の封印を解く」

「信徒の保護」」

「キリスト者の神の賛美」

「七つのラッパ」

「巻物を持つ力強い天使」

「太陽を着て月を踏む女性」

「大天使ミカエル」

「第一、第二の獣」

「二種類の収穫」

「バビロンの淫婦」

「石を持つ力強い天使」

「終末の緒戦」

「太古の蛇」

「新しいエルサレム」

(*計20)

Saint John Before God and the Elders, from The Apocalypse MET DP816734
Saint John Before God and the Elders、from the Apocalypse MET DP816734

me→ ■ヨハネの『黙示録』を読む 1.2.3.4.5
ロレンスの『黙示録論』と「蒼ざめた馬」
黙示録写本の命の川と植物(途中)
黙示録の言葉「アルファオメガ」(途中)

怪物(まとめ)
「《驚異》の文化史」(オトラント大聖堂のモザイク他)
『ロマネスクの図像学 (教会の怪物)』、
『イタリア古寺巡礼』(アダムと動物)
『怪物ーイメージの解読 』
『奇想図譜』

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