真理
中世の聖堂扉口の擬人像の関連で、若桑みどりさんの「太陽を持つ女―寓意と象徴の女性像」を、擬人像関連で目次読書します。
ティツィアーノの寓意画について、『絵画を読む イコノロジー入門』も参照します。
人類は常に人間の身体を一つのシンボルとして受け取ってきた。
ヨーロッパ思想の始原に当たるギリシャ哲学の宇宙観では、人間は宇宙の類比的なモデルと考えられ、この二つの宇宙(コスモス)―人間は小さい宇宙、つまりミクロコスモスと呼ばれた―の間には象徴的な対応関係があると信じられていた。
芸術作品の本来の意味の回復の学問が「図像解釈学(イコノロジー)」である。(p11)
今では美術史家は、ギリシャ神話、キリスト教教義と神学、さらには対象となる時代の支配的な思想、そうした思想を分け持っている文学や音楽などの姉妹芸術などにも目を通さなければならなくなった。
幸いにして、古代とキリスト教の合流点にあたる16世紀から18世紀にかけて、おそらく同じような必要性を感じ始めたためであろうが、多くの図像目録が編纂されており、あるイメージがどのような過去の思想から、その源泉を汲んでいるかがわかるようになっている。
しかしながら、このイコノロジーは、ある時代に限定された集団的な想像力を復権させ、リハビリデートすることに留まるかぎり、それは知的な歴史学的行為ではあっても、芸術の美の感受と批評には至らないだろう。
「心の真実に触れるイメージを、未開・原始と文明・現代とを問わす、探し求めることこど、芸術史の重要な役割の一つと筆者は考える」(p12)
Truth unveiled by Time by Bernini @ボルゲーゼ美術館
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ. c. 1645-1652年
「16世紀に新プラトン主義が一般に流布することによって、我々が史上最も優美なものと感嘆する、盛期ルネサンスの神的でもあり人間的でもある美女たちの肉体が形造られるようになった。」(p16)
Sacred and Profane Love
between 1512 and 1515
Titian (–1576)
ティツィアーノ《天上の愛と地上の愛》@ボルゲーゼ美術館
※「クピド(アモル)は、このころ婚礼の儀式として行われていたバラ染めの仕事をしている最中だとパノフスキーは『ティツィアーノのイコノロジー研究』の中で説明している」(『絵画を読む イコノロジー入門』 p41 若桑みどりNHK出版1993 )
「一般化されたプラトン的な思想の造形の典型」(p16)
小さな炎の香炉を天に向かって捧げている。
「二人のヴィーナスは高いに相補的な関係にあて、霊と肉と対立ではなくその分かち難さを語っているように見える。その水平的構造こそ、ルネサンスにおける調和のもっともすぐれた視覚化であるといえよう。」
多くのマニエリストは、極めて微妙なバランスを必要とするこのレベルを保つことに失敗してしまった。
「マニエリスム末期のこのような危機を代表する作品として、ブロンズィーノの《愛の寓意.》を挙げることができよう。」(p16)↓下へ※
話は、中世というより、16世紀メインとなるようです・・下の絵は、私はもちろん好きではないが、(-_-;)、パノフスキー以下、頻繁に取り上げられて、おなじみ・・
→チェーザレ・リーパの頁
この絵は、大胆な姿態で抱き合う恋人同士(それはもはや「ヴィーナスとキューピッド」とみなしてはならない。)のまわりを「愛」の悦楽の陰に潜んでいる苦々しい「悪」を示したものである。
とりわか「欺瞞」を表わす若い娘は、可愛らしい顔をしていながら怪物の胴体を持っており、
「快楽」を表す少年は、踊っているように陽気だが、その足には軛(くびき)がはめられている。
しかも、これらの愛の悦楽に耽る一群を包むヴェールの背後から恐ろしげな目を光らせた「時」の老人と「真理」が忍び寄って、彼らを包み隠していたヴェールを剥ぎ取ろうとしているのである。
密会する恋人同士の背後に忍び寄る「死」のイメージは、中世末から盛んに描かれてはいた。しかし、マニエリスム末期のこの錯綜した寓意画には、単に地上の悦楽のヴェールを剥ぐ「時」という教訓的な寓意以上に、愛の悦楽それ自体に含まれる腐敗とデカダンスが描き出されている。
いずれは滅びるにしても咲き誇るときには確かにこの上もなく美しかったロンサールの薔薇の代わりに、この絵の中には初めから偽りの花束が描かれているのである。(p16-17)
ブロンズィーノ《嫉妬》(部分)
ブロンズィーノ《真理》(部分)
ブロンズィーノ《時》(部分)
エルヴィン・パノフスキーの『イコノロジー研究』では、タイトルは、「愛の寓意」でなく、「逸楽の暴露」 となっている。
《真実》の他に課題なのは《欺瞞》であるというが
→チェーザレ・リーパの頁に続く。
ブロンズィーノの寓意画は、この若桑みどりさんの論考で、他にも取り上げられていた。
ブロンズィーノ《幸福の寓意》である。これもよく取り上げられてきたようだ‥
また、
最後の寓意画は、リーパではなく、リ―パより前の、アンドレア・アルチアーティ『エンブレマータ』(1530)からであった。
そこで、ミケランジェロについてほかの、示唆のある話があった。→続く
しかしはっきり言うと、・・私には急ぎ過ぎだ‥ミケランジェロの《死にゆく囚われ人》も出てきていしまう(p14)ので困った。((笑))→これはもう少し考えさせてください物件なのだ。
アンドレア・アルチアーティ《運命》(『エンブレマータ』より)
<運命の移ろいやすさを示すかのように、彼女は、波の上を風に吹かれ、踵に翼をつけてさまよい、自分の行く方向も定かではない。>(p22)
なるほどね~な、総論最後の寓意像でした。
若桑みどりさんの「太陽を持つ女」(『寓意とと象徴の女性像』総論)にある、古代とキリスト教の合流点にあたる16世紀から18世紀の図像目録からの図像 《真理、人生、宇宙、悦楽、明白、神性、慈愛、美、神への愛、賢明》は、→若桑みどり「太陽を持つ女」 其の2に続く。
これについて、若桑みどりさんに「三つ首怪物の普遍鵜生命について」という論考がありました。
(『イメージの解説 怪物』河出書房新社1991年1月刊所収)後ほど見ます‥
→ ティツィアーノの寓意画、犬の図像・象徴に続く
若桑みどりさん「太陽を持つ女」その2(寓意図典)、その3(絵画・彫刻)に続く・・。
その後、
この全集の第7巻の70作品解説を一覧することにします。(20191018)
LastModified: 2019年 …