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ウクライナの文様と自然崇拝(5)

東ヨーロッパと西ヨーロッパの民族衣装の違い

ベルギーとイングランドを覗いて、民族衣装はどの国にも出現したが裁ち方やスタイルは西と東とではっきりと異なる。(p110)

女神像のような東ヨーロッパの刺繍デザインが古代の信仰や慣習に深く根ざしているのに対して、西ヨーロッパの衣服は伝統よりも装飾を重んじてきた。
これは西ヨーロッパの衣服が東ヨーロッパとは背景を異にし、流行と交易に基づく教会と都市の伝統の中から生まれたことによる。
西ヨーロッパでは手頃の裁縫の材料が購入できたこと、さらには1523年に出版がはじまり、さまざまな図柄を表わしたパターン集が広く流通したことにより、スカンディナヴィアからスペインまでの民俗刺繍はある程度似通ったものになった。(p110)

Austria, Traditional costumes from Tyrol, EU
Austria, Traditional costumes from Tyrol,
Dirndl ダーンドルスタイル

meなるほどね。

東ヨーロッパ

もっとも古い要素の名残は、いまでも東ヨーロッパの隔絶された地域で見ることができる。

カラパチア山地の辺境地域
地域の基本の服である白いシュミーズを織る。
T字形の亜麻布のシュミーズは、紀元前2000年ごろに中東から東ヨーロッパに入ってきて、紀元300年頃のビザンティン帝国を経由して、西ヨーロッパにも取り入れられた。

シュミーズは以後ヨーロッパじゅうの農民服の基本の肌着となった。(p112)

シュミーズの上には、ふんだんに装飾のついた毛織りの衣服を着た。女性用の基本の服は2本のストラップでつった、袖なしの長いドレスだった。 

この特徴的なエプロンドレス風の衣服は、ロシアの伝統的なサラファン(sarafan)が起源だが、19世紀のノルウェー、スイス、スペインのピレネー山脈地帯など、西ヨーロッパの一部でも見られた。

サラファンの上には毛織り地のエプロンをつけた。実際には、2枚つけることも多かった。基本となる後ろエプロンの幅が足りない場合に、ほぼ同じサイズのエプロンを前からつける。
いたるところで見られる東ヨーロッパのエプロンは、下の衣服を汚さないためではなく、女性の性的部分を悪霊から守るためのものであった。


Vénus de Lespugue Gravettien Musée de l'Homme 04022018 1
Venus of Lespugue, mammoth ivory, found in the Grotte des Rideaux ( Lespugue, Haute-Garonne, France ). Dated from the Gravettian, ( Upper Paleolithic, 23 000 years ). Currently in the Musée de l'Homme, in Paris.

「染織テキスタイルの専門家のエリザベス・ウェイラント・バーバー( Elizabeth Wayland Barber)によれば、彫像は、腰の下方から掛けられたスカートを示す彫刻として、腰の下からぶら下がっている、ねじれた繊維thread (yarn)でできたスカートが、紡がれた糸の最も初期の表現を示す。」(wikipedia



2018年6月17日 パリ 人類博物館にてPhoto by M
ヴィーナス考→『岩波美術館 歴史館第1室 かたちの誕生
https://bymn.xsrv.jp/nekomegami/mother/venus-figure.html

パニョ―ヴァ(panjpva)と呼ばれる後ろエプロン/スカートは、新石器時代に発達したもので、20世紀に入ってもロシアやウクライナの花嫁や既婚女性が身に着けていた。

me"パニョ―ヴァ”を検索しても何もなかったが、「旧ソ連邦の国々とヨーロッパの民族衣装を訪ねて」 (世界の見民族衣装館近藤英明)https://www.jstage.jst.go.jp/_pdfという文書に、「サラファン」についで、「ポニョーバ」という表記で、出ている衣類が、それらしい。ただし、後ろエプロンという説明はない。「ポニョーパが捲かれたら今年その女性は 出産するだころう 。」という信仰/迷信の記述があった。

着用者の多産性を示すことを基本の目的とするこの衣服の、もっとも古くシンプルな形は、小さな四角形の模様の入った、裁断も縫製もしていない長方形の布をウエストのところでベルトでとめて、後ろエプロンとしてさげるようにしたものである。
パニョ―ヴァは今も、ウクライナの民族衣装としてこのような形で着用されている。(p112)

大ロシア南部の州では、エプロンは前で柄を引き立てる布と縫い合わせる形になったが、後ろエプロンを付けているように見える。(p113)

パニョ―ヴァには、手の込んだ装飾が施されているものもある。
典型的なのは、豊穣の意味を持つ2つの図柄
―光と鉤に囲まれた菱形と4分割した枠内にそれぞれしれじれ点が1つずつ入っている菱形―が、
エプロンの柄の入った四角い部分に刺繍されているものである。(p113)

後者の図柄は「豊穣」または「種を蒔まいた畑」のモティ―フと呼ばれる。
どちらのデザインも、その起源は東ヨーロッパのセイン石器時代にさかのぼるだろう。

毛織り地の後ろ/前エプロン―これが筒型のスカートに進化化した―を着た女性が北ロシアより冷涼な気候の地にいじゅうしはじめたとき、保温のために体の上の方に筒型のスカートを引き上げ、その結果、2枚のエプロンが進化して、特徴的な2本のストラップのついたエプロンドレス型のサラファンができたのではないかと推測されている。

後ろエプロン/スカートの分布地域のすぐ東では、まったく異なるカテゴリーの衣類が着用されていた。
フリンジのついた紐状のエプロン/スカートである。

紐状スカートは、人物像に描かれていた最初の繊維製の衣服であった。
保湿性という点でも慎みという点でも効果的ではないこの衣類は、女性の生殖能力を強調する社会的な機能を果たしていたに違いない。(p114)

現在もバルカン半島の一部の衣服には、装飾的な紐状のフリンジがつけられている。

meエプロン考   続く(20220407)

ウクライナの文様と自然崇拝
  1. ウクライナの地理 スラブ神話(自然崇拝と文様)
  2. ウクライナエッグ バティック模様 刺繍 服飾史、フランス・スペイン・オランダ
  3. 民族衣装の伝統 ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア
  4. 民族衣装の文様 「民族的造形の起源」 
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