「建築と植物」の
目次読書
「建築と植物」 五十嵐 太郎編 (2008)
「建築と植物」 五十嵐 太郎/編 INAX出版 2008年10月刊内容紹介 建築における植物との関係をさまざまな視点から考察する。文化としての植物、温室建築の歴史、植生の建築史、初期近代の幾何学庭園における世界表象、建築における植物というモデルなどを収録。
内容紹介
古くから、建築は石や土、木材などの自然素材と密接な関係にあった。現在では、コンビュータを用いた建築デザインの領域に植物的なフォルムの導入が試みられるケースも多く、植物と建築への関心は高まっている。この相互の影響関係を、歴史的、文化史的にたどり直して考察しながら、新たな建築的な視点や方法を探り出していく。
1 エクストリーム・ネイチャー
五十嵐 太郎/ 執筆
2 文化としての植物 庭園・温室・盆栽
大場 秀章/ 執筆
3 ヴェネチア・ビエンナーレ・ドキュメント われわれはいかにしてコンペに勝利したのか
五十嵐 太郎/ 執筆
4 ヴェネチア・ビエンナーレ スモール・パヴィリオン ちいさな図版のまとまりから建築について考えたこと
石上 純也/ 執筆
5 温室建築の歴史
五十嵐 太郎/
東北大学五十嵐研究室/
執筆
6 センシング・インヴィジブル 植物と建築、アートの新たな展開
四方 幸子/執筆
7 樹木・建築・植物 藤森照信インタヴュー
藤森 照信/述
山本 想太郎/間き手
8 植生の建築史 ヴィクトル・オルタの方へ
高山 宏/執筆
9 樹幹と円柱という永遠のアナロジー
土居 義岳/執筆
10 プロスペローの苑 初期近代の幾何学庭園における世界表象
桑木野 幸司/執筆
「近代イタリアの記憶術と建築空間における視覚的表象の問題」
(Issues in Mnemonics and Visual Representation of Architectural Space in Modern Italy) 第8回(平成23年度)日本学術振興会賞受賞
11 ツリー建築のための哲学?
瀧本 雅志/執筆
12 花柄を探す旅 植物とデザイン
藤崎 圭一郎/執筆
13 計算素子としての植物
田中 浩也/執筆
14 建築における植物というモデル
平田 晃久/執筆
建築と植物というテーマのこの本の中のいくつかを目次読書をしたい。この本は内容が幅広くすごい。
エクストリーム・ネイチャー
まずは編者の冒頭の14ページである・・
他者としての植物
建築の外部としての庭園
温室という建築的な装置
自然現象としての建築
アルゴリズムの可能性
博覧会の起源と始まりの建築
あいまいな空間のランドスケープ
"EXTREME NATURE: Landscape of Ambiguous Spaces"
*ヴェネツィア建築ビエンナーレ日本館http://fukuhen.lammfromm.jp/
文化としての植物
ついで、10pと短いが、日本とヨーロッパの「自然観の相違」 というのは、なるほど!であった・・
「シーボルト日本植物誌」(ちくま学芸文庫)
日本滞在1823‐29
1835‐70に分冊刊行
絵師 川原慶賀(スケッチ)
植物図譜や鳥の図譜がたくさん刊行された理由・・王は人間界だけでなく、自然界をも含めた、すべての存在を統治するゆえに、植物や動物についても知っていなければならない
コーヒーテーブルブックとして、楽しい談義のネタにも使える
図譜が人々の関心を植物に向かわせる大きな窓口になっている
「園芸」英語:horticulture horti=建物の壁で囲われた庭:中庭
古いヨーロッパの家の「ロ」の字型の庭に植物を植え育てることが起源
園芸の始まりのころはもっぱら薬草を植えていた
当時の薬草とは、食欲を増進させるスパイスやハーブのこと
産業革命以後、観賞用の花卉栽培が中心に
農業(agriculture)は城壁の外で行われていた
中庭で作られる食用植物はサラダ用のセロリやパセリなど
中国の城壁内の中庭は「園」
動物がいると「苑」
日本の場合は庭の向こうはすぐに自然に連なっていると理解されていた。
日本の庭園観はヨーロッパとは異質
山にあるような植物を平気で栽培することができた
ヨーロッパにおいては、園芸植物とそれ以外の植物との差がはっきりと顕在化していた
城壁の外の植物を家で栽培するのは人間のやることではなく、逆にアラビアやインドなど、離れたところの物は、人間が意図的に運んできたものだから栽培してもいい。そうした意識化が、だんだんとアフリカや新大陸の植物を栽培する園芸の発達に貢献した
産業革命以降は小市民(庭師を雇えない)が小さな家を持つようになる
徐々に放置してもいいような庭がありがたくなってくる
イギリスが真っ先に日本の庭園間の影響を受けて、野草を植えるようになったのはこの時である
イギリスではこうしてできた庭を「Japanese style garden」と呼ぶ
日本ではなぜか「イングリッシュ・ガーデン」と呼んでいる
日本の自然観を取り入れ手野草を植えることは、庭は自然と対立するものであるというセオリーに対するアンチテーゼとうぃての意味を毛様になった
もとはいかに労力をかけずに庭を維持できるかという小市民の意識に由来している
イタリアもそうだが、パリ、マルセイユといった中世以来の都市では、中庭にも家を作ってしまったり、生活が中庭まではみ出してきていたりする。
すでに[hortes](garden)
の精神は残っていない
ベランダ園芸や窓の外に植木鉢を並べたりするものに変質している
その代わりイタリアやフランスではパブリックな園芸の場が発達している
盆栽は中国から入った
盆栽の美は自然を虐めた美
本来の日本人の感性でいうとおかしいが、珍奇なるものを求める申請が日本人にもあるから
ヨーロッパの人々が盆栽を受け入れられたのは盆栽が全体的半自然だから
原点から庭の歴史をたどれば、さまざまに変化する美の様式を通して人間の意識形成の過程がわかり、ひいては庭というものが文化そのものを反映していることに気づく
温室 植物を凍らせないために始まる 冬も緑とともに暮らしたい←オランジェリーが生まれる
富の象徴として植物を見せつけたい←パームハウスが生まれた
その土地では栽培できないものを栽培しようとする
生態系の保存
温室建築の歴史
図版メインの15ページ
1.技術革命と温室
ポンペイの栽培室;透光性の石盤
温室の発達は15世紀後半の大航海時代から
「18世紀オランダの温室」ディドロとダランベール編集の「百科事典」の古典的な型
温室で栽培された熱帯植物、とりわけヤシはその経済的価値はもとより、ヨーロッパ人の異国への憧れの的となった
庭園はエキゾチックなものへの好みを反映した幻想の国となった
2.庭園の幾何学
ルネサンス以降
14世紀から16世紀にかけて作られたイタリア式庭園と、17世紀のフランス式庭園は、ともに幾何学式庭園と呼ばれ、強力な幾何学的構成を導入し、数多くの人工物によって装飾された
人間の支配の告知
とりわけ放射幾何学状の図形が好まれ、そこにはコスモロジカルな表象性も込められていた
しかしやがてそれを批判する形で風景式庭園が現れ、幾何学は解体されてゆく
3.形態とシンボル
「自然に直線はない」とアント二・ガウディは語った
4.装飾
アナログな形態模倣、、手工芸的な職人芸、デジタルなプログラムにおける生成発展のルールなど、さまざまに手法を変えながらも自然は建築を誘惑しづつける
とりわけ、小さく、もっとも直接的に資格に飛び込む部位は、あ建築の装飾だろう。実際、抽象的な構成や論理的な構造よりも、装飾の方が一般人には記憶に残り、なじみやすい
このあたりがこちらのテーマ範囲なので図も引用したいところであるが・・
図4-1・2 オーダーの装飾
「人間の想像力には限界がある。装飾を考えるとき、やはり身近な自然が参照される。ギリシア・エジプト。そしてアメリカ。植物のタトゥーのように柱に刻まれる」(p052)
図4-3・4 グロッタ 「洞窟をモチーフとしたグロッタは、どろどろとして輪郭をなくす自然を模した装飾である。明晰な古典主義の建築デザインに対し、庭園のパヴィリオンなどで好んで用いられた
図4-5 キューガーデンの装飾
ロンドンのキューガーデンのヤシの木の温室〈1844‐48年〉の中央棟の手すりには、ヤシの葉の装飾が施されている。ほかにも内部の歩廊を支える鉄の柱や、ガラスを支える構造など所かしこに植物の装飾が見られる」
確かに、その装飾は、目をひいた・
図4-6 20世紀初頭のアール・ヌーヴォー建築のあらわれたヴィクトル・オルタ←「植生の建築史」高山 宏/執筆 に続く
図4-7 オットー・ワーグナー「マジョリカ・ハウス」
図4-8 中国庭園 植物の形をした開口部
「蘇州の中国式の庭園では、多様性だけを目的にしたかのように、様々な開口部が展開された
円などの幾何学はもちろん、とっくりや植物を模した奇異なものまで登場した」
図4-9 古代エジプト
「古代エジプトでは、特異な風土によって、特有の墓地造園が発達した
庭園が霊魂の安息地として考えられたのである
また墓の周りの壁には、数本の樹木(ナツメヤシヤシカモアなど)と小花壇と池からなる壁画が多く残されている」
モスクの表面は唐草状の植物文様でおおわれている
この文様は実際の植物の生態とは無関係な抽象的表現であり
途切れることなく自然な動きを繰り返し反復する事で、どんな平面も埋め尽くすことができる
偶像崇拝の禁止というイスラム教の教義を背景として、こうした抽象的な幾何学表現が発達した
図4-13
「植物の画像が床にプリントされ、図書館内に点在している。本物の植物の横で、グラフィックとなった植物模様は、立体的な装飾とは異なり、非現実的であり、装飾として植物を取り入れることに対するアイロニーもうかがえる」
というシアトル中央図書館だが・・
WEB検索:〇(Studies in Green)
5.脱大地
6.島
7.植物園+α
8.廃墟
9.種の保存
樹木・建築・植物
ついで、「樹木・建築・植物」 藤森照信インタヴュー25ページ 間き手/山本 想太郎
超高層タンポポ仕上げ
ル・コルビュジェと屋上庭園・・屋上庭園の流れ・・基本的に建築と植物は合わない。実用的にも意味はないし、美学的にも全然ダメで失敗したのに取り下げない
植物はシンボリックに使おうと考えるようになった
建材はどこまで自然なのか・・・建築の中で植物の生死は関係ない 木材系建材になってしまう、物の本質は表面に宿っている
あの世の建築 浄土庭園(平等院の池泉が代表 洲浜があって松があって鶴が飛んでくる)、神社の前が「にわ」(神様の前でいろいろする場所)、建築と自然というより、建築とあの世
宗教と建築、生命現象と科学技術 ドルイド教(オーク)はほとんど日本の自然信仰(マツ 常緑樹への信仰)と変わらないがキリスト教は認めなかった 儒教もユダヤ教も仏教もみな自然信仰を否定、自然ではなく言葉に頼っていた
アール・ヌーヴォー ウィーンのセセッション館 https://www.secession.at/〈1897〉の装飾 金色のオリーブの下に女性三人 蛇 蛇はギリシャにおいても生命の象徴としてあった モダニズムのスタートがアール・ヌーヴォーであったという尾は、生命への感覚が生まれたことを示している 建築モチーフとして、ヘビなどの爬虫類を用いたのは、ウィーンや、チェコ、スペインなどの周辺部(パリやイギリスではない) ガウディのサグラダ・ファミリアの正面の柱にもヘビがいる 生命の問題に気づいたところからモダニズムは始まり、数学に終わる 科学技術は文化を崩したが生命現象は科学技術に崩されるような現象ではない 科学技術は世界共通なのだから、宗教でも個別の文化でも駄目、それまで建築は宗教や文化で作られると思っていたのだから、決定的な危機であった
植物とシンボリズム 大航海時代ヨーロッパの人々は、植物園を作って世界中の植物を求めた 植物は、エキゾチックな文化、自分たちの知らない考え方や世界の象徴であった
山本 想太郎→「 オーウェン・ジョーンズの「装飾の文法」(1853〉 など、装飾も植物モチーフからきていると思いますし、そこからものすごい影響を受けたと思われるルイス・サリヴァン(Wikipedia)も植物にすがる気持ちを持っていたのではないか」
樹木信仰、太陽信仰 生きている緑樹は神様の乗り物で、丸太は人間、王様の乗り物 柱は死んだ人の魂を天に届けるための物 神が下りてくる木は旧石器時代末期のもの 太陽信仰は新石器時代になってから 太陽の運行と作物の成長の一致 Godという観念は、あいつはなんなんだと太陽について考えた結果 植物に代表される生命現象からシンボリックな樹の信仰が生まれ、その上に太陽の信仰が重なって、やがてピラミッドにつながっていった
自然界との中間的な的な存在 現在日常的に木の使用を許されているのは北米、北欧、日本だけ
コンクリート造表現をめぐって コンクリートは強い泥 日本が一番進んでいる
ル・コルビュジェよりアントニー・レーモンドの方が7年早い レーモンドが参考にしたのはペレのランシーの教会〈1923〉 本野清吾:コンクリートの構造美は何かと考え表面の型枠の後を消した コンクリートの打ち放しの(日本の)伝統 安藤さんの段階になって世界がびっくりした コンクリートは寿命が短い自然物
植物の記号性、植物のスケール
竹は記号性が強い、記号性が強いものは、見るものをの思考を停止させる 竹は東洋、中国か日本の象徴になってしまう 竹には桂離宮につながる数寄屋の記憶がある 数寄屋は日本建築の最高点ですが、日本建築の命を失わせたのも数寄屋
日本の建築史の中で個人のデザインが反映されるのは茶室だけ
初期の作品の良さ 安藤さんが「住吉の長屋」とか「光の教会」を超えることはない 石山修武も「幻庵」をこえることはない 自分はテーマがあるうちは大丈夫
〈2008年8月2日)
植生の建築史
ついで、 19ページ by 高山宏
バルトルシャイティス『アナモルフォーズ』の翻訳
http://booklog.kinokuniya.co.jp/takayama/archives/
一 植生の「ビルドゥンク」
「ハリー・ポッター」全七巻シリーズが 11歳から17歳までの少年少女たちの「成長(Bildung)」を学校制度と学齢なる約束事をそっくり物語化した 魔法学校ホグワーツ校は、自ら有機の生命に満ちたものとして描かれる ポッター=「陶(すえ)造り」(ヒトになるべき元の土をこね当ててそれをヒトに仕上げる ヘブライ古神話の神) 建築術と錬金術の二つのアルス、二つの成長工程のアナロジーを解く物語 「吸血鬼ドラキュラ」〈1897〉は小麦播種の五月に始まり収穫の十一月に終わる 植物神(ドラキュラ)の物語 ドラキュラは植生に託した文化盛衰の循環物語だということは最後にドラキュラを運ぶ船がデメテール号と呼ばれていたこと一事にして明らか ドラキュラの100年後 神話作家J・K・ローリング が生命の循環を言祝ぐ 100年前の植生神話が見事に循環し来った
二 タビュレーションと抑圧
「ビルドゥンク」と植物相(フロ-ラ)のことを「蛇」を媒介に論じたい 蛇と植生を等しいものと観じた想像力の小史となる ドラキュラの名はドラコ すなわち龍/蛇 ハリー-・ポッターの仇敵の名はドラコ 何より忘れがたいのは、大幻想建築たるホグワーツ魔術学校意壁の中に、そして地下に、そして「秘密の部屋」にこの秘密の蛇体が潜むという一点
古今生物学ジャンルを論じた新美術史家の旗手ノーマン・ブライソン『見過ごされたもの』「花卉画にあっては、野草を描くことの禁止に劣らず厳しかった禁じ手に、同じ花を二度描いてはならないというのがあった。求められるべきは豊穣というものではなく、科学的自然主義のレンズを介して見られた「標本」(スペシメン)で 植物の同一種の中に品種改良で作り出される差異 17世紀初めに支配的だった妙に平べったい画面 それは図表的明快のタビュレーション(tabulation) の空間
科学的知識を生む支配的モードが分類学(タクソノミー)であるような博物学的時代にあっは、一切が精密な分類にさらされる むろん蝶や蜻蛉を世の儚さの象徴と見るようなルネサンス時代のモードがなおオランダ静物画中に残存していたのは確かだ。それはそうだが、オランダ花卉画は、最初のミュージアムたる驚異‐博物館、奇想ー博物館を生み出したのと同じ空間にあったのだ。 貝殻も科学的珍品も同じ図表的(tabular)で一望監視的な空間に属するものであった」
ヴンダーカマーのマニエリスム芸術の近代的局面が存外すっきり十七世紀後半からの、フーコーのいわゆる表象の古典主義時代、モダニティの時空
にバトンタッチされていった呼吸がわかる
ノーマン・ブライソン(Bryson, Norman 1949- )『見過ごされたもの』
図1 19世紀末曲線趣味によみがえる〈蛇〉、アドリエン・ピエール・ダルベイラのストーンワーク〈1900〉図2 アール・ヌーヴォー論の出発 ニコラス・ぺヴスナー『モダン・ムーヴメントの開拓者たち』(フェィバー&フェイバー、1936)ぺヴスナーの論の普及版〈1973〉にあしらわれているH・ギマールによるベランジェ邸正面扉〈1896〉
マニエリスムが合理との接点できわどく発見した文化や人性の非合理の部分は「タビュラー」な平面性と合うわけがなく、てき面に抑圧されたまま、フロイト心理学が「不気味(unhemlich)なもの」と名付けるだろうはずのものとかして、例えば建築ファサードの壁中に埋め込まれていった
平面に痕跡として残されたこの非合理なものの記号こそが、 マニエリスム芸術の根幹ともいえる蛇—蛇状曲線(Lineea serpentinara)—なのである
蛇語を介する主人公が建築の底や向こう側にとぐろを巻くヘビを追う「ハリー・ポッター」シリーズは、マニエリスム建築ないしマニエリスム建築の基本構造を語る
蛇上曲線は別名をアラベスク(Arabesque)とも言い、そして時にはグロテスクとも称され皇帝ネロ賞玩の「黄金宮」の壁に這う曲線のことを言った。
この古代遺構は元来は地下的なものと何の関係もないのに、発掘されたとき、半ば以上土に埋もれて地下宮殿と誤って伝えられたため、以降、グロテスク曲線は「地下」と結びつき、十八世紀ピクチャレスク作庭術で大流行する
人工洞窟(グロッタ)と結びつき、かくて抑圧された情念イコール地下、イコール曲線という面白い観念連合が、マニエリスムに、ロマン派によみがえり、そして問題のオルタやギマールの十九世紀末に「オルタ・ライン」(または「むちひも様式」、「さなだ虫様式」)と呼ばれた建築、室内装飾の曲線デザインに循環的によみがえるのである。
地下の曲線とは端的に植物の根のする営みの謂いであろう。合理が愛する花や葉に対してバタイユが執した根(ラシーヌ)の世界、ジル・ドゥルーズが「根茎(リゾーム)」と呼んだ現代思想の「根幹」部も間違いなくそこ淵源する(p112)
建築と植生の関係
ザ・ピクチャレスクの出発 1709年 この段階では植物があくまで建築の外部にあることが、ザ・ピクチャレスクをゴシシズムに取り込もうとする18世紀末のエキセントリックたちの作品をみると逆によくわかる
図3 曲線狂いとしてアール・ヌーヴォーが前に出た瞬間とされるA・H・マックマードー「レンの市教会」のタイトルページ〈1883〉
図4 ヴィクトル・オルタの霊感源、ヴィオレ・ル・デュック「建築講和」〈1863〉
森を建築化したとされる天井リブ構造 H・ギマールによるベエランジェ邸正面扉〈1896〉
ウォルポールのストロゥベリー・ヒル邸 建築の外にあるものとみていた植物の生命力を建築が内化した
*(Horace Walpole, 4th Earl of Orford, 1717- 1797「serendipity」という言葉は、イギリスの政治家にして小説家であるホレス・ウォルポール(ゴシック小説『オトラント城奇譚』の作者として知られる人物)が1754年に生み出した造語)Strawberry Hill House Wikipedia
建築、とりわけインテリア・デザインはロマン派をもって、人間の精神ないし脳の営みの「客観的等価物」となった 人間内面が「感情移入」された建築そのもの 諸事についてロマン派を整理清算しおおせた、とても建築的な作家 エドガー・アラン・ポ-の「アッシャーの家の崩壊」(1938) 建築と不気味なものの関係を初めてめてきちんと書いたアンソニー・ヴィッドラー「不気味な建築」がこのポーの名作から語り起されているのはさすが
他者を自己の何としてとらえるかという大きな関係史に、植生がどうかかわってくるかという問題に、自己と他者の間の閾域として建築がかかわってこざるを得ない
エステティック・インテリアの現象=文化的引き籠りによる他者の消滅の典型現象
三 「コルヌコピア」建築
ユイスマン「さかしま」(1884)オランダの血を引く19世紀頽唐文学の代表 「おたく」元祖 外を喪失した建築構造体たるフォントネー城館に引き籠ったデゼッサントの耽美な日常
図6 ティファニーの傑作 1893 コロンビア展覧会(シカゴ)出典作
世紀末の植物狂いの勉強
海野弘「アール・ヌーボーの世界」(造形社 1968) は再読に値する 渦巻く各種の正弦曲線(sinusoidal curves)を マニエリスムの蛇上曲線がウィリアム・ブレイクのつる性植物好きのフラフィックスに媒介されたあものと位置づけte見事
谷川渥「表象の迷宮」(アリーナ書房、1992)、パオロ・ポルトゲージ他による決定書「オルタ」(1970)よりもは遥かにパースペクティヴが利いている
デボラ・シルヴァーマンの「アール・ヌーヴォー」(青土社)この稿には一番インパクト多い傑作 究極のアール・ヌーヴォォー建築といえばタッセル邸に尽きるのだが、北米大陸における百貨店進出には なかなか興味深いものがある 他者ないし外なる存在としての「女性」という扱いという問題が面白く顕在化している デパートを発明したアリスティッド・プーシコー 女イコール美、女イコール買い手という図式は「ショッピング」を生み出した悪魔的商才「道に迷わせる」アール・ヌーヴォーは誇示的消費文化によみがえったマニエリスム
図7 建築に入り込む植生 殷グラスゴー芸術協会デザイン、チャールズ・R ・マッキントッシュの咲く、ドローイング自筆
図8 植生建築の変種、画家 G ・F・ワッツの妻メアリーによるワッツ・チャペル〈1896〉 ぺヴスナーの渋い趣味がさがしだした
図9 「オルタ・ライン」 ウィプラッシュ(むち)スタイルとも「さなだ虫」スタイルとも呼ばれた
エミール・タッセル邸玄関ホール、オルタ策〈1893〉
女イコール植物という発想 女性たちは自然の豊穣女神、農耕女神、手にもつ花束や熟果はギリシア古神話の「豊穣の角(cornucopia)]の変奏
図10 ルイス・サリヴァンによる新シュレジンガー・アンド・マイヤー百貨店入り口(『シカゴ・レコード・ヘラルド』紙 1903.10.9)図11 同百貨店デザイン
図12 同開店祝い広告(『シカゴ・インター・オーシャン』 1903.10.7)
文化史の中で女性が植物と同一視されることはなんだか常識と化しているが、歴史的にはそう簡単な話なのだろうか リネーに代表されるエポックに、主にその容易な操作性ゆえに蔑され、記号の裏へ、下へ、奥へと抑圧されていった植生に、まさしく「女を弄んだ博物学」(ロンダ・シービンガー)としてリネーを総批判する近代科学史家たちは女性性を重ねた 女イコール植物というイメージ集塊は「不気味なもの」と化して男性的建築意思の無意識にと沈殿していったのである そしてそれがそっくり表面化した十九世紀末、専らアール・ヌーヴォーの曲線狂いに、今度は女性を性搾取(sexploit)しようと目論む商戦略が乗って、ヘビ/蔓という正弦曲線の建築史はもう一つのエポックを迎えることになった (p123)
図13 カーソン・ビリー・スコット店広告(『シカゴ・ドライグッズ・レポーター』1898)図14 新シュレジンガー・アンド・マイヤー開店広告(『シカゴ・トリビューン』1903.10.7)
図15 ロンドンのセルフリッジ百貨店広告 シカゴのマーシャル・フィールドの重役がロンドンに進出した
オルタラインに一番近いものとして、Viscum album(ヤドリギ)やAcanthus spinoususやAcanthus spinosus(トゲハアザミ)といった植物の根の活力ある錯綜を論じたのは、この大著ポルトゲージだた一人である Franco Borsi &Paolo Portoghesi,Horta,(1970,Academy Editions,1991)
(p124の註の部分)
*ヴィクトール・オルタ(Victor Horta 1861‐1947) - ベルギーの建築家。対称的な曲線模様を特徴としたアール・ヌーヴォー様式を装飾芸術から建築へと取り込んだ最初の建築家と言われる。
オルタ美術館 - 自邸を美術館として開放している。公式サイト
Paolo Portoghesi 〈1931‐〉:「バルディ邸」で建築界に登場、歴史主義に根ざし、50年代末からのネオ・リバティ運動に共鳴。その後「建築家ミケランジェロ」(’64年)、「ローマ・バロック」(’66年)、「ローマの折衷主義」(’68年)等を著し歴史家としても活躍、バロック研究には定評がある
う~~ん 上の註の部分だが・・アカンサスの根の方ね???アカンサスの根は塊根であるが、錯綜なのか??
とにかく、
リンネをリネーと表記する文学者の文で、(スゥーデン語の発音はそうらしい)こちらの興味に重なる部分が多くて面白いが、意味を取るのに甚だ苦労した・・
ここで 残りの読書を別ページします‥ →建築と植物 その2
執筆者
●大場秀章
1943年生。理学博士。専門は植物分類学。
。著書=『植物と植物画』『植物は考える』『バラの誕生』など。翻訳=『日本植物誌 シーボルト「フローラ・ヤポニカ」』など。
Wikipedia
●藤森照信
1946年生。建築史家。建築家。専門は建築史、生産技術史。
著書=『明治の都市計画』『昭和住宅物語』『丹下健三』『人類の建築と歴史』など。作品=《神長官守矢資料館》《タンポポハウス》《熊本県立農業大学学生寮》《高過庵》など。
Wikipedia
●高山宏
1947年生。
建築、美術、文学、文化史、思想史、哲学、科学などを自在に横断する批評家・翻訳家。著書=『アリス狩り』『目の中の劇場』『メデューサの知』『奇想の饗宴』『庭の奇想学』など。訳書=タイモン・スクリーチ『定信お見通し』、同『江戸の身体を開く』、バーバラ・M・スタフォード『ボディ・クリティシズム』、同『アートフル・サイエンス』など。
Wikipedia
●土居義岳
1956年生。建築史。フランス政府公認建築家。
著書=『建築と時間』『建築キーワード』『アカデミーと建築オーダー』など。翻訳=『新古典主義・19世紀建築〔1〕〔2〕』『建築オーダーの意味』『パリ都市計画の歴史』など。
Wikipedia
●五十嵐太郎
1967年生。建築史家。工学博士。
著書=『新宗教と巨大建築』『近代の建築と神々』『終わりの建築/始まりの建築』『戦争と建築』など。共著=『ビルディングタイプの解剖学』など。
Wikipedia
五十嵐太郎著『おかしな建築の歴史』 (エクスナレッジムック)
●平田晃久
1971年生。建築家。
作品=《House H》《House S》《sarugaku》《Showroom H(枡屋本店)》など。
Wikipedia
●石上純也
1974年生。建築家
。作品=《table》《四角いふうせん》《リトルガーデン》《神奈川工科大学のKAIT工房》など。著書=『small images ちいさな図版のまとまりから建築について考えたこと』。