唐草図鑑

西洋の芸術(中世)

「イメージの解読━怪物」より

海の豊穣━二叉の人魚像をめぐって


 

怪物―イメージの解読
尾形希和子著の部分
(河出書房新社1991)

/目次読書2014-10-31/

目次

魚の尾を持つサイレンの誕生
シンメトリーの追求
ニ本の尾の意味
豊穣と人魚
人魚とグリーン・マン
動物や怪物の二重性


以下取り上げられている図像を中心にざっと・・

図像

(p52より引用)「ことにイタリアのポー河流域地方のロマネスクの教会は、動物や怪物があふれるような生命力を発露する自然の王国のような場所である。
他のどのロマネスクの中心地にもましてしてボー河流域地方で発展を遂げた人魚の彫刻、特に二叉の人魚のイコノロジー的解釈を試みたい。」

男の人魚

(尾形p53)人魚のほとんどは女性であるが、男性の人魚の像が全く見られないわけではない

ここで『イメージ・シンボル事典』を参照したところ、

『イメージ・シンボル事典』
(p426)より以下引用

1.人魚の生息地は海であるが、その本質は人間に近い存在である。また女の人魚(mermaid)と男の人魚(merman)との間には、はっきりした区別はない


2.昔は、どんな生き物にも、それと対応する生き物が他の領域(たとえば水の中)に住んでいるという説があり、このため人間に対応する人魚の存在が信じられたのであろう。それゆえ、海牛(sea-cow)、海馬(sea-horse)、海ライオン(sea-lion)、はては海の司教(sea-bishop架空の存在)までもいる。またこの説の必然の結果として人魚にも男女の別が存在することになった。

以上の記述は興味深かった⇒さらに、mermaid(人魚)・Melusina(メルジーナ) 、 サイレ(-)ンのページへ


尾の他、左手でつかんでいるあごひげも二叉?
尾の方には王冠のような輪がある?
右手では唐草をつかんでいる?

トラニ、大聖堂、正面大窓、アーチヴォルト 12世紀後半

Duomo trani.jpg
"Duomo trani" by Tommytrani at Italian Wikipedia - This file is lacking source information. Please edit this file's description and provide a source.. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons.

この聖堂 Cathedral (Trani) の外観(入り口)はユニークですね バラ窓の下の大窓の上部のアーチ状の部分の装飾に、「男の人魚」ありました ⇒こちらのサイトでクリアに見られます
必見⇒http://rete.comuni-italiani.it/wiki/File:Trani_-_Finestrone_centrale_Duomo_2.jpg

聖堂は池田健二著『カラー版 イタリア・ロマネスクへの旅 (中公新書) 』(1994)の表紙になっていました

男の人魚(?)

クレモナ、大聖堂、聖水盤(もとは柱頭)、12世紀初期

Duomo di Cremona Acquasantieraアクアサンティエーラ
https://flic.kr/p/cEdyHC

(p53)カラスの羽、獣の足も持つ生き物で純粋な人魚とはいえないないかもしれない

人魚

(尾形p54)古典古代:ホメロスの『オデュッセイ』・・女の頭部と鳥の身体をもつ 、死の瞬間に呼び起されるイメージ、同じ形のハルピュイアからは区別された。
サイレン=美しい音楽を奏で詩人の歌で船乗りたちを誘惑する魅惑たきな生き物
ハルピュイア=ハゲタカのように死肉を貪るもの

(尾形p54)紀元前2世紀のメラガの壺:オデュッセイとサイレンを題材にした装飾画・・イルカの尾を持つ女の姿(アテナ国立博物館蔵)

捜したが画像が見あたらない。Wikimediaの Archaeological Museum of AthensはRoomごとにまとめられつつあるようだが・・・
半人半鳥から人頭魚尾へ・・・

自分の尾をつかむ二叉の人魚、モデナ、大聖堂、南側正面西から5番目の半円柱・柱頭、12世紀 

(Duomo di Modena)
http://tourdefrance.blog62.fc2.com/blog-entry-2376.html

海の住人達と人魚、ボルツァーノ、サン・ジャコモ・ア・カステッラス、アプスのフレスコ画、12世紀

『教会の怪物たち』の3に図を挙げてあります

こちらのhttp://homepage3.nifty.com/~akasatana/akasatana38.htmlの「7.ロマネスクの二叉人魚」の項に言及があり。
東京人形倶楽部あかさたな漫筆
2007年7月~9月号「UP」(東京大学出版会)金沢百枝(モモ先生) [ロマネスク美術の愉しみ]
1 ロマネスクのこまったちゃん 
2 人魚のため息とケンタウロスの勘違い
3・完 ロマネスクの極北 

シンメトリー

グリフォンにより天空を目指すアレクサンダー大王、トラニ、大聖堂、床モザイク、1166-75

この図像も今のところWEB 上で見当たらない・・http://yaplog.jp/kkscaretaker/image/499/1365
⇒同様の(?)オトラントの床モザイク Alexander The Greathttp://alice2005.blog.so-net.ne.jp/2011-11-23
http://belcanto.music.coocan.jp/kansyo/2003_tabi_1.htm

ヘルマフロデア

アンドロギュヌス(通称=モデナの性器ーpotta de Modena)、モデナ、大聖堂、身廊北側屋根のメトープ、現在大聖堂彫刻美術館蔵、12世紀 

http://fumiemve.exblog.jp/15258254/

二叉の人魚

二叉の人魚、モデナ、大聖堂、身廊南側屋根のメトープ、現在大聖堂彫刻美術館蔵、12世紀

世界樹

世界樹と様々な怪物、動物、オトラント、大聖堂、床モザイク、1163-5

(尾形p55)魚の下半身を持つサイレンが本当の意味で文献にあらわれるのは『怪物の書』のなかである。しかし、ここでも、サイレンの二叉の尾については何の記述もされていない。
その起源についてのいくつかの答えの可能性 1.様式・・シンメトリーの追求(フォション:空間からの規制)
すべての類似の構成を持つ図像の基本に据える。アジア起源の図像のリヴァイヴァルである(バルトルシャイティス『シュメールの芸術、ロマネスクの芸術』)
(両者とも装飾的な理由に起源を求めた)
(p58) 2.異教のシンボルとしての性質を帯びさせるため(マリアセレーナ・チェッラMariaserena Cella・・多くの動物誌でサイレンがケンタウロスと結びつけて述べられており、ケンタウロスが二本の尾を持つ者として二面性を持つ異教のシンボルといわれる)⇒これだけではこのモティーフがここまで普及した理由としては不十分。二叉のケンタウロスの図像もない 3.エロティックな意味の含蓄を持つ=淫蕩のシンボル 
(キアラ・フルゴーニは『怪物の書』の中にその起源を求めることができると述べる。
世界の辺境に住む怪物であり、メトープというマージナルな場におかれる⇒わざわざ両足を開いている理由はこれだけでは説明されない
4・蔵持不三也説:魔除け、豊穣のシンボル、キリスト教以前の土着の宗教の生き残り

ここで『イメージ・シンボル事典』からなのだが、アト・ド・フリースは、2本の尾のあるセイレンについて、 一つは、2本の足が2本の尾となったもの⇒Melusinaとし、次いで、双子座(⇒Gemini)を表し、2本の尾は両手を天に向かって伸ばす、古典的な祈りの姿の地獄絵的複製と考えられると書いている。

それをいえば、リリス(Burney relief 1800 BCE - British Museum)もその両手の形を取る。

Lilith Periodo de Isin Larsa y Babilonia.JPG
"Lilith Periodo de Isin Larsa y Babilonia" by Manuel Parada López de Corselas User:Manuel de Corselas ARS SUMMUM, Centro para el Estudio y Difusión Libres de la Historia del Arte - 投稿者自身による作品. Licensed under Public domain via ウィキメディア・コモンズ.

ヤヌス

モデナ、大聖堂、正面ポルターレ・マッジョーレ、アーチヴォルト、12世紀 

(尾形p62)この重要な位置に置かれた図像が淫蕩のシンボルというネガティブなものであるはずがない
裸体のヤヌスが性器を見せているこのポーズは明らかに 新しい生命を与えるという豊穣につながるものであろう。
モデナ大聖堂全体が髪の救済をテーマにしている。
蔓が作りだすメダイヨンのような空間に動物や怪物たち、人間たち、珍しい民族などを生息させるこの木はこの世全体を表す世界樹でもあり、救済を約束する蒲萄の木でもある
その頂点に位置するこのヤヌスの像はローマ神話のすなわち異教の神でありながら、キリスト教の再生、救済のテーマにふさわしい意味を持つ 

(尾形p63)これらの蔓植物は生命の樹(arbor vitae)を表すものだという説と、悪魔や危険に満ちた森(silva oscura)すなわち罪に満ちたこの世、あるいは悪の木(arbor male)をあらわすという説がある。
二叉の人魚はヤヌスと同様に豊穣を表し得るだろうか
ゾッラElemire Zolla(1926-2002it.wikipedia)、人魚とキルケ―とを結びつけて考えることによって答えを得ようとしている。(類推で説得力に欠けるところがあるが、シビッラやキルケ―にアイルランドのモリガンや、ケルトの妖精、モルガーナやアルガンテなどを比較していることは 示唆的)
キルケーは島に住む魔女で、魔法の術と薬草に詳しく、数々の怪物たちに従われている (女シャーマン、13世紀末「自由精神の教団」の巫女シビッラたち)・・人魚はキルケ―の伝統の中世での生き残りである
生成の場所である自身の子宮を誇示する。 クレモナ大聖堂の破風でキリストの上にある人魚はキリストの再生の力は自分の子宮の中からのみ生まれるのだと主張しているかのように見える。

(尾形p64) プレッシーナというモルガーナと同一のものとも考えられる妖精を母に持つメリュジーヌ(羽根の生えた蛇)
蛇(あるいは魚)と水と女とが常に肥沃さ、豊穣のシンボルであること・・ ミルチャ・エリアーデ『豊穣と再生』p23
海ー水―夢―子宮ー死―再生

デメテル

テラコッタ、ローマ、テルメ博物館蔵 

(尾形p65)ギリシア時代のデメテルや地母神の像は両手に蛇を掲げている
この図像に似通っているのは、下の図像
蛇を両手につかむ地母神の海のヴァージョンではないかとも考えられる
実は人魚などの水の精は植物に愛情を抱き世話をやくものたちだ。

二匹の魚をつかむ女

二匹の魚をつかむ女、モデナ、大聖堂、正面北から二番目の半円柱・柱頭、12世紀

2匹の蛇をつかむ女神は今までも見ている・・・
ここに麦も持っている

(尾形p65)若桑みどり(1935-2007)『薔薇のイコノロジー』(青土社, 1984年): 古代エフェソスのハドリアヌス神殿タンパンの図像が、共通の根から生え出る人物や動物のグロテスク文に類似することを指摘。
両脚が植物の形で終わる人物の像、エトルスクの墓にも翼を持つ女の形で現れ、やはり豊穣に関係するものであることは間違いがないだろう。

グリーン・マン

グリーン・マン、モデナ、大聖堂、正面ポルターレ・マッジョーレ、アーチトレ―ブ、12世紀初頭

(尾形p66)フォションの形体論によれば、古典様式のリヴァイヴァルで柱頭などに甦ったアカンサスの葉がロマネスクの様々な図像の誕生の起源であり、 
グリーン・マンの発生もこれであったと考えることもできるが、しかし、このグリーン・マンの図像の歴史は古い。
バスフォードKathleen Basford (1916 –1998en.wikipediaイギリスの植物学者)は、これは古代から存在するモティーフで、2,3世紀は特にライン川地方で石棺などの葬儀用モニュメントに使われていたと説明する。(≪The Green Man≫ 1978)
ブドウの蔓と共にあるこの図像はバッカス的な祭礼に深く結び付けられるから、やはりこれは再生のシンボルと考えられよう

こんなページがありました:http://www.greenmanenigma.com/history.html

海と地のシンボル

シナゴーガの両脇の海と地のシンボル相下版、十字架磔刑図・部分、ミュンヘン国立図書館蔵、870年頃

淫蕩のアレゴリー

淫蕩のアレゴリー、モワサック修道院、正面ポータル左側面、1125-31年頃

(尾形p66)ゴシックはロマネスクと同様に百科全書的な時代であるが、ゴシック期には人間中心のヒエラルキーが出来上がっていた
フランスにおけるタンパンの中のヒエラルキックかつシステマティックな世界像、そして スタテュ・コロンナ(人像円柱)などによる人間像の導入に並行し、動物・怪物などはガーゴイル(樋嘴)などの形で周辺部へ追いやられる

(尾形p66) ウォルタ-・アベル Walter Abell(1897–1956)en.wikipediaアメリカの美術理論家) は深層心理学的な方法で動物や怪物の図像の解釈を試みている:それは人間が持っている自然に対する脅威などのネガティヴな要素で、新石器時代、中世初期、そして十一から十三世紀という三時代の間に、だんだんそれらの図像が中心から周辺に移されしかも小さく描かれるようになったことから、人間の社会におけるネガティヴなものが少なくなってきたのだという。
図式的過ぎるが、少なくとも、動物や怪物たちのシンボルとしての力が弱まってきたのを見ることができる
ゴシック時代には、美徳や悪徳も擬人像によって表され、動物や怪物たちは聖人の足もとに踏みつぶされる悪の象徴としてしかとられられなくなる

(尾形p68)グリーン・マン⇒ゴシック期には地獄図の悪魔やサタンの姿として登場
蛇⇒キリスト教のモラルの中では誘惑者、肉欲のシンボル
カロリング朝期に多く作られた象牙板で海の神オケアノスと並べられていた地の神ゲ―も乳房に蛇をぶら下げた姿は豊穣を表すものであったが、モワサックの大聖堂の正面では同じ姿だが、明らかに淫蕩のシンボルとして表れる(⇒モワッサクのページ)
これと同じ変容が人魚にも起こったとどうして言えないだろうか。

地の神ゲー⇒(ギリシア神話)ガイアGaia、(ローマ神話)テルス
・・おっしゃるような、プレロマネスク、カロリング朝の象牙板にあるというという像は 8-9世紀Carolingian ivoryで見たが・・よくわからない・・『カロリング朝美術 (人類の美術)』 (新潮社1970) ジャン・ユベール (著)あたりにあるのでしょうか・・
訳者吉川逸治 ・・Wikipediaに矢代幸雄、アンリ・フォシヨンに師事⇒(弟子)⇒高階秀爾、田中英道、辻佐保子、若桑みどりとあります

(尾形p68)ロマネスク期には動物や怪物たちは、負と正の両方の価値を伝え、まだ二重性を持つ存在であった。
だからこそこれは人魚が豊穣という古代からのシンボルの意味を残したままキリスト教のコンテキストの中にも含まれ得る最後の時代および場所だったかもしれない


『教会の怪物たち』を読むページその4 に入る前に、小休止で、→馬杉宗夫「ロマネスクの美術」を一読
また読み始める前に、この、『イメージの解読 怪物』(河出書房新社 1991年 共著)の「海の豊穣」の18ページを読んで、猫な頭をトレーニングし直し。

 

追記
テルメ美術館のデメテルのレリーフにはとてもひかれましたので、この美術館からその他のスバラシイ図像を少々みてみます⇒museo-nazionale-romano.html


『ヨーロッパの文様事典』の方に、(p148)「幻獣文様」として、セイレーンの項目とハルピュイアの項がありますが、その図版、
セイレーン:「泣くセイレーン」 前4世紀、アテネ出土、アテネ国立考古博物館蔵
「オデュッセウスとセイレーン」2世紀中頃、エル・ジェム出土、チュニス、バルドー国立美術館
「オデュッセウスとセイレーン」前490年頃、ヴルチ出土 、大英博物館蔵
セイレ(ー)ンのページ
ちなみに、人魚とトリトンは各1ページ別項であった

「ハルピュイアのアリュバロス」:前590~前580年ごろ、ギリシア製、 ミュンヘン国立古代美術館蔵
「ハルピュイア 浮彫」前480年頃、クザントス出土、大英博物館蔵


  

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