『中国の神話伝説』
(袁 珂著, 鈴木 博 訳– 青土社1993/4/1刊)

神話のような寓話か 「天問」より少し古い『荘子』
にのっている。
そのはなしによると、南海の天帝は
「儵(僕に同じ)といい、北海の天帝は「忽」といい、
中央の天帝は「渾沌」という。
儵と忽はいつも渾沌のところ
に遊びに行き、渾沌の心のこもったもてなしをうけていた。
ある日、渾沌の恩徳にどのように報いるか相談」
し、どの人にも目、耳、ロ、鼻⋯⋯と七つの穴が
見る、聞く、食べるなどの用をなしているのに、渾沌に
は穴が一つもなく、玉にきずであるので、われわれが大
をあけてやろうではないかということになった。
こうし
て、斧や鑿などを携えて出かけ、穴をあけてやった。一
日に一つずつあけ、七日で七つの穴をあけた。
しかし、
かわいそうなことに、渾沌は親友に穴をあけられ、「鳴
呼哀しいかな、寿終りて正に寝ぬ」(かつて死亡広告に
よく用いられた文句)となった。(p96)
いささか滑稽味のある寓話、と袁 珂は言う。確かにwww
渾沌は、中国の古代神話ではたしかに天神の名である。
『山海経』の「西山経」に、西方の天山に、形が黄色い
袋のようで、炎のように赤く、足が六本、翼が四つで、
耳、目、口、鼻はないが、歌舞を解する「帝江」という
神鳥がいるとある。
帝江は帝鴻にほかならない。
漢字「鴻」は、ヒシクイやオオハクチョウなどの大型の鳥(おおとり)を指す漢字で、転じて「大きい」「広い」という意味や、手紙(書簡)を意味する言葉としても使われます。(コトバンク)
燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや、というセリフのあれですね。。
つまり、中央の上帝たる黄帝であるので、『荘子』の寓話は直接 黄帝を中央の天帝にしていることになる。
渾沌が天帝の 子であるという人がいるが、それはおそらく後世に生まれた伝説であろう。
「不識不知」、「無為にして治まる」⋯⋯を追求する道家
を除いて、ねばねばしていてまっ黒な渾沌が好きな人は
いない。
それゆえ、後世の伝説では、渾沌は醜悪に描か
れている。
たとえば、『神異経』(南北朝時代(四一〇―
五八九))にはつぎのように書かれている。
犬か熊のよ
うな野獣で、目はあるがものが見えず、耳はあるが音が
聞こえない。
「明盲」であるので、自分で歩くのも
もたいへんであるが、ひとがどこに行くのかはよくわか
る。
徳のある人に出会えば乱暴にぶちあたるが、覇道を
行う恋人に出会うと かえって従順になり、得意気についていく。
このようないやしい性格は天成のものであである。
ふだんなにごともないときは、自分の尾をかみながら
るぐるまわり、天を仰いでげらげら笑っていることが
多い。
この伝説から、暗黒とほとんど同じ意味の渾沌
実際にいい感情をもたれていなかったことがわかる。
上の、南北朝時代になると、混沌は、野獣で、天地開闢のテーマには 関わらす、神聖さがない・・
次の段にいたってようやくその話になるが・・・
天地開闢についての神話が現れるのが、前漢代(前二
〇六―後八]初期の『淮南子』である。
むかし、まだ天
も地もなかったとき、世界は暗く深く渾沌としていて、
形のあるものはなにもなかった。
そのような渾沌として
いてまっ暗いなかに、二人の大神がゆっくり生まれ出て
きた。
一人は陰神、一人は陽神で、天地の経営に苦心し
た。のちに、陰陽がはっきり分かれ、八方の位置も定ま
ると、陽神が天を、陰神が地を管理することになり、わ
れわれの世界が形成された。
しかし、この神話は哲学的意味があまりにも濃厚で、 実のところ、興味をほとんどかき立てられない。
えっ、そうなんですか・・・
いよいよ幕開け、ワクワクという感じがしましたが・・・(;^_^A
このあと、別の古書からの「巨霊」(河神)とか怠惰な
巨人の樸父夫婦 、鬼母
などが出てきますが、
図はp97に帝江(混沌)p99に燭陰(燭竜)
天地を切り開いた人物を探し求めるには、最後にやは
り『山海経』に書かれている鍾山の「燭竜」神に思いを
はせざるをえない。
顔が人、胸が蛇で、皮膚が赤く、胴
が長くて一千里もある。目が特に大きく、橄欖のように
直立していて、閉じるとまっすぐな継ぎ目になる。
力が
とても大きく、目を開いただけで全世界が真昼になり、
目を閉じるや大地は闇夜におおわれる。
息を吐くと黒い
雲が厚い層をなし、大雪が降って冬になり、息を吸うや
まっ赤な太陽が照り付けて、金を熔かし、石を焼き、夏
わる。
鍾山にちぢこまって伏せ、飯を食わず、
飲まず、眠らず、息をせずにいる
息をするや強風
が万里さきまで達する。
その神力は九重の黄泉の暗黒を照らし出すことができる。
つも蠟燭をくわえ、奥まっ
て暗い北方の天門のなかを照らしているので、「燭陰」
ともよばれる。
燭竜の姿と神力についていえば、実際に造物主の資格 がある。しかし、動物の姿を著しく留めているうえ、ま だ他の有名な天神のように人間化していないので、姿が 奇怪で、神力がきわめて大きいけれども、あえて造物主 とみなす人がおらず、一山の山神として隠棲せざるをえ ないのは、不幸な境遇であるともいえる。
なるほど、「鍾山の燭竜神」なのですね・・・
このページでは、開闢篇第一章に図のある、鳥(帝鴻)の混沌と竜の燭陰(燭竜神)を見ました・・・
