『中国の神話伝説』
(袁 珂著, 鈴木 博 訳– 青土社1993/4/1刊)
『中国の神話伝説』目次
|まえがき
| 序論篇|
| 開闢篇|
黄炎篇|
尭舜篇|
羿禹篇|
夏殷篇|
周秦篇|
|中国年表と漢籍 |
索引|
『中国の神話伝説』開闢篇最後の章、第11章へ。(p166~ 172)
共工が怒って不周の山に体当たりして東南の大地に穴 を開けたので、そこに大小の河川が流れ込み、今日見る ような海洋が形成された。
海洋は人びとの想像をもっともかき立てるもので、天 上の雲の変化に応じてさまざまな色に変わっていく、は てしなく広大な海を見ていると、そこに他に例をみない ほど異常で美しいものがいろいろあると想像するのはき わめて容易である。
しかし、海竜王の宮殿、蚌精と竜女、 亀や蛇の妖怪など、後世の伝説に出てくるものは検討する必要がないので、ここでは大蟹と人魚についての興味深い伝説を簡単に検討する。
海の大蟹はきわめて大きく、千里に達するという。
この蟹を見た人は、いうまでもなくきわめて少ない。かな
り情理にちかい言い方をすれば、たった一杯で車がいっぱいになってしまう。
このような大蟹は、それだけでも
すでにたいした大きさであるが、それだけでは満足する
ことができず、後世の伝説が生まれた。
つまり、ある商
人が船に乗って海外に取引に出かけ、何日たったかわか
らなくなったころ、大海のなかに突然木が鬱蒼と生い茂
る小島が現れた。
商人は非常に喜んで、水夫に命じて接近させ、一斉に岸に跳び上がって船をつなぎ、木の枝を
切って火をおこし、昼飯をたき始めた。飯をたいている
と、突然、小島が動きだし、木が沈み始めたので、みな
驚いて船に跳び乗り、艫綱を切って命がけでその小島を
離れた。
よく見ると、なんとその小島は大蟹で、殻を焼
かれて痛がったのである。
人魚についての伝説はもっとおもしろい。少し古い記
録には、人魚は陵魚ともいい、人面魚身で、人と同じよ
うに手と足があると書かれている。
この動物は海にも陸
にも棲むことができるので「陵魚」ともいうが、陵魚と
は陸に棲息する魚という意味であり、
羿禹篇で検討
する巫女が乗る竜魚と同じものである。
この半人半魚の動物は実際には非常に凶暴であるが、後世の伝説では非常に
美化されている。
ある伝説では、南海の「鮫人」は、海 中に棲んでいるけれども、いつも織機に坐し梭を投げて 布を織っており、月と星がきらめき、波がない静かな夜 ふけに海岸に立つと、勤勉な鮫人が布を織る音が深海か ら聞こえてくるし、人と同じように感情があって泣くこ とができ、泣くたびに明るく輝く真珠のような涙があふ れるという。
中国ドラマ「馭鮫記」(2022)を思い出します。(任嘉倫アレン・レン主演)(wikipedia)
別の伝説では、海の人魚はほぼ人と同じ姿 をしており、眉毛、目、ロ、鼻、手、足がすべてそろい、 男女を問わず非常に美しく、皮膚が玉のように肌 くて白く、髪の毛が馬の尾に似ていて五、六尺あり を少し飲ませると全身が桃の花のように桃色がかってい っそう美しくなるので、海沿いでは、妻や夫が死ぬと、 人魚を捕まえて池で育て、自分の夫や妻にするという。
また、外交官として朝鮮に赴いた人が海岸の砂洲で女性 を見かけたが、その女性は肘の裏に炎のように赤くて長い毛がはえていたので、おそらくいわゆる人魚であった であろうという伝説もある。
ここにあげた人魚についての伝説は、アンデルセンが「海の娘」という重話に描い
ている人魚と大差がない。
実際、このたぐいの伝説は、
まだいくつかあげることができる。大きな海は、古今東
西を問わず、人びとを同じような想像に駆り立てるので
ある。
"The Little Sea Maid"
この機会にアンデルセン(デンマーク 1805-1675)の「人魚姫」についてみてみたのだが、wikipediaにある結末の話に驚きました。
つまり、人魚姫は皇子への恋心ゆえに人間になったのでなく、「不滅の魂を手に入れるために海の暮らしを捨てる」。祖母の話で「300年生きられる人魚より人間はずっと短命だが、死ねば泡となり墓もない人魚とは違い人間は不滅の魂というものを持っていて天国に行く」 ・・・
それと「人魚の死と復活で締めくくられる結末は複数の議論と批判を巻き起こした。」とある。最後が、こどもの善い行い悪い行いの結果が人魚姫の300年の修行期間に影響するというお説教風の終わり。
一般解釈
人魚姫は愛する王子を殺すことと彼の幸福を壊すことができずに死を選び、海に身を投げて泡に姿を変えた。結局は王子の愛を得られずに泡になってしまった人魚姫だったが、彼女はそのまま消えてしまったわけではなく風の精(空気の精霊)に生まれ変わり、泡の中からどんどん空に浮かび上がっていった。
「空気の精(大気の精霊)」を意味する英語の「アリエル」は Ariel(または作中での描写から airy spirit)
最も一般的な固有名詞
ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『テンペスト(嵐)』(wikipedia)に登場する空気の精「アリエル」 を指す
• ディズニーの『リトル・マーメイド』:主人公のアリエル(人魚)の綴りも同じ Ariel ですが、こちらは「海の王の娘(人魚姫)」です。
• アンデルセンの原作『人魚姫』:泡となって消えた人魚姫は、最後に「空気の娘たち(精霊)」の仲間になりますが、原作に「アリエル」という個別の名前は登場しません
大きな海が想像をかき立てるからこそ、古代の人びと は、河川が日夜たえまなく海に流れ込むのを目にして、 大きな海に代わって心配した。海がいかに大きいとはい え、いっぱいになる日はないのか。あふれたらどうする の心配から、つぎのような伝説が生まれた。
渤海の東方、何億里あるかわからないところに、まっすぐ 切り立つ底なしの「帰墟」という大きな谷があって、す べての川と海の水は、天上の川の水も含めてその谷に流 れ込むが、その谷のなかの水は少しも増減しないという 伝説を考え出し、そして、人びとは安心した。 あ、なん だ、そんな大きな谷があって、川と海の水が全部はいっ てしまうのか、それじゃあ心配する必要はないんだとい うわけである。 (p168)
帰墟には、岱輿、員嶠、方壺、瀛州、蓬萊という五つ
の神山があるという。どの山も高さと周囲がともに三万
里、山と山の間隔が七万里、山頂の平らなところが九千
里もある。
山上には黄金造りの宮殿があり、自玉の欄杆
をめぐらしたところに神仙が住んでおり、そこを飛び交
っている鳥や走りまわっている獣はすべてまっ白である。
いたるところに珍珠や美玉の木がはえており、そ
木は花が咲き実もなるが、その実こそ珍珠や美玉にほか
ならず、きわめて美味で、食べると長生不死になる。
仙人もおそらくまっ白な服を身に着け、背中には小さな羽
根がはえているであろう。小さな仙人が海の上のまっ青
な青空を鳥のように自由に飛び交い、五つの神山の
往来するのをいつも見かけるが、親戚や友人を訪ねるの
であろう。仙人が楽しく幸せに暮らしていることはまち
がいない。
その楽しく幸せな暮らしのなかに、具合いのまず とが一つだけある。その五つの神山が大きな海に浮かん でいて大地に根づいていないので、ふだんはいいのであ るが、風波に見舞われるとあちこちに漂流し、神仙の相互の往来に極めて不便になる ことである。 (p168)
「杆」(正字・異体字である「桿」)てこの棒、手すりの棒 操縦桿まもなく目的地に到着するかと思っていると急に遠くなったり、目 ざす神山がどこそこにあると見当をつけても、どこかに 行ってしまい、探さなければならなくなったりする。 そのため、精神も体力も消耗し、あたまを悩ますのである。 仙人は悩んだすえ、ついにみんなで相談し、数人の代表 を天帝に送って悩みを訴えた。 天帝は、神山があちこちに漂流するのはどうでもいいことだが、風波が大きすぎ ると、根づいていない神山が北極に押し流されて大海に 沈み、仙人の住むところがなくなってしまったらたいへ んだと思い、北海の海神である禺 彊に早くいい方法を考えるよう命じた。
この海神の禺彊は、天帝の嫡孫で、
風神も兼ねる。
風
神として現れるときは、人面鳥身で、耳に二匹の蛇をかけ、足で二匹の青蛇を踏み付ける猛だけしい姿を いる。

この天神は大きな羽根を羽摶いて強烈無比の強風 巻き起こすが、その強風には疫癘と病毒が大量に れているので、その強風にあたると、はれものが出来 病気になったりして死んでしまう。
海神として現れるときは、和やかな姿をしており、陸魚にそっくりで、魚
身で手足があり、二頭の竜にまたがっている。
なぜ魚身
であるのであろうか。もともと北方の大海の魚であるか
らである。
その魚は「鯤」というが、実際は鯨である。
中国ドラマで「鯤」に遭遇したことがあるが、その造形は確かにクジラであった・・・しかし、透明の好きとおったクジラ・・→「鯤」を見る(WordPress中国ドラマの中の「鯤」)
その鯨は何千里あるのかわからないほど大きい。身を揺するや鳥に化し、その鳥を「鵬」というが、実際は凶暴な大鳳にほかならない。
その大きさは、背中の幅だけでも何千里あるのかわからない。
怒りを発して天空に向かって飛び立つと、まっ黒な羽根が天に垂れ込めた黒雲のようにみえる。毎年、冬になり、潮流が生ずると、北海
から南海に移り、魚から鳥に変身し、海神から風神
わる。
うなり声をたてながら原野を吹き抜けていく、骨を刺すように冷たい北風は、大きな鳥に変身した海神の
禺彊が発する風にほかならない。
大きな鳥に化して北海
から飛び立つときは、羽根で海面を一撃するや、天をも
押し流す三千里の波が立ち、羽搏きながら強風に乗って
九万里のかなたに飛び去る。
まるまる半年飛び続けて目 的地―南海―に到達すると、やっと地上に下りて 休む。――海神にして風神を兼ねる禺彊は天帝の命令を 受け、諸仙の居住地のためになにかいい方法を考え出なければならなかった。
海神は怠けず、あわただしく鼇を十五匹帰墟に送り、
五つの神山を頭で支えさせることにした。一匹が頭で支
え、二匹が下方で見守り、六万年ごとに交代させ、交互
に支えさせることにした。
神山を支える籠は、その仕事
をやるにはやるが、あまりまじめにやらない。
突然、おもしろがって、みんなでいっしょに海中で足の爪を
てて楽しく踊り始めることもある。
そのような無
遊戯のために、神山の神仙は苦しめられるが、以前休
した風波による漂流にくらべれば、たいしたものでは
ない。
神仙はこのうえなく喜び、平安と幸せのうちに数 万年を過ごしたが、はからずもある年、竜伯国の巨人に攪乱され、きわめて大きな禍いに見舞われた。
竜伯国はもともと巨人の国で、昆侖山の北方、何万里
あるかわからないところにあり、住民の大半が竜の種族
であるので「竜伯」という。
「
ある巨人はやることがない
ので退屈になり、釣竿を携えて東方の海のかなたにある
海に釣りに出かけた。
二本の足を水に入れるや、数歩も
歩かないうちに帰墟の五つの神山に到着し、さらに数歩
歩いて五つの神山を周遊した。釣糸を垂れるや、長いこ
とものを食べていない飢えた鼇が六匹あいついでかかっ
たので、鼇をかついで走って帰ってきた。
家に帰り着く
と、鼇の甲をはがして卦を占った。
こうして、あわれな 岱輿と員嶠の二つの神山は北極に漂流して海中に没して しまった。 あわただしく引っ越ししようと、服やふとん をかついで空中を往来し、疲労のあまり大汗をかいた神 仙がどれだけいたかわからない。
天帝はそのことを知ると、ひどく怒って偉大な神力を
発揮し、竜伯国の国土をできるかぎり削り取り、巨人の
からだをできるかぎり縮めてしまい、二度と禍いを引き
起こせないようにした。ib
長い歳月ののち、この国の人は
それ以上小さくなれないほど小さくなったが、それでも当時の人によると、数干丈もあった。
帰墟の五つの神山は、二つが没し、残るは蓬萊、方丈
(方壺)、瀛州の三山で、いぜんとして鼇が頭でしっかり
支えていた。
鼇も、竜伯国の巨人から教訓を汲み取って
からは、騒ぐのをやめ、ずっとまじめに神山を支え、悶
着を引き起こしたとは二度といわれなかった。
しかし、竜伯国の巨人が悶着を引き起こして以来、海
上の神山の名声はかえって高まり、大陸の人びとは海上
のあまり遠くないところに美しくて神秘的な仙山がある
ことを知るにいたり、だれもが仙山に遊びに行きたがる
ようになった。
おそらく、漁師が小舟に乗って魚を獲っ
ているときに、偶然風に仙山の近くまで吹き流されて仙
山に登ると、仙人は素朴で勤勉な遠来の客をねんごろに
もてなしてから、仙風で無事に送り返したのであろう。
こうして、仙人が不老長生の薬をもっているなどという、
仙山についての伝説が人びとのあいだで興味津々と語り
継がれるようになった。
それらの伝説はつぎつぎに語り
継がれていき、国王や皇帝の耳にまで達するにいたっ
富貴と権勢が頂点を極め、この世の楽しみを享受し尽く
した帝王らの唯一の恐怖は、突然それらのすべてを死神
に奪われてしまうことにほかならない。
仙山に不死の妙
薬があると言われると、欲深な心が鬱勃とうごめき、金
を惜しむことなく、大きな船を建造し、食糧を充分準備
し、方士を海上に送り出して、仙山の妙薬を探させ、こ
の世でもっとも貴重なものをひたすら手に入れようとし
た。
戦国時代の斉の威王(在位前三五六-前三一九
真王(在位前三一九―前三〇一)、燕の昭王(在位的三一
九―前二七九)、秦の始皇帝(在位前二四七-前二一〇)、
漢の武帝(在位前一四一―前八七)⋯⋯らは、いずれも
徒労に終わるそのようなことを試みたが、それぞれふつ
うの人と同じように死んでおり、だれも不死の妙薬を手
に入れなかったし、はてはどの方向にも仙山の影さえ見
えなかった。
あわれむべし。あわれむべし。愚味にして
貪婪な貴人らよ。仙薬を探しに行き、手に入れることが
できずに戻ってくる者もいたが、そのような者は、仙山
はたしかに見た、しかし、遠くからながめると天空の雲
のようで、近づくと、いくつかの仙山が明るく透明な海
中にそびえ、台榭楼観や仙人や樹木禽獣がはっきり見え
た、さらに船を進めると、突然、大小の船がいずれも引
き返さなければならないほど強い突風が吹き募り、つい
に仙山には近づくことができなかったと報告した。―
とうのことであったかもしれないが、そうで
仙人は帝王が送ってきた使者に会いたくなかったのにち
がいない。あるいは、ほらばなしにすぎなかったのかも
しれないが、そうであれば、方士がでっちあげた多数の
美しいほらばなしの一つである。要するに、これ以後、
仙山については伝説があるだけで、ほんとうのニュース
はなくなった。
神と怪物
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