唐草図鑑
聖樹聖獣文様

中世の美術

中世美術をみるヒント
(by 木俣元一 )

一般的な 新潮「とんぼの本」であるが、座右に置きたい
フランス ロマネスクを巡る旅』(2004)に
「中世美術をみるヒント」として木俣元一氏解説 あり 

以下に目次読書を。特にここでは「聖なる怪物」の項を読みたい

1  ロマネスク教会はこうなっている

2 聖なる怪物たち

3 「最後の審判」を読み解く

4 壁画を味わう


1  ロマネスク教会はこうなっている

柱頭
ロマネスク聖堂の人間的スケールであればこそ、ここに細かな装飾を施す意味があった

周歩廊
内陣を取り囲むU字型の通路。巡礼者の数が増えたのに伴い設けられたもの

内陣
祭壇を中心にして聖職者たちが儀式を行う空間通常は一般の信徒は入ることができない。祭壇とはキリストの血と肉であるぶどう酒とパンを信徒たちが口にする「神の食卓」である

交差廊(トランセプト)
東西方向の身廊と交わる南北方向の空間

放射状祭室
周歩廊から外に張り出す小さな祭室。殺到する巡礼者たちが内陣での儀式を妨げないよう、夫々に祭壇をおいて礼拝を行った

後陣(アプシス)
聖堂の東端部で半円形に張り出す部分。中世初期までは祭壇が置かれた小さな空間であった。しかしロマネスク以降、内陣を取り囲む部分が大きく複雑になり、形も機能も全く別のものに変化してしまう

側廊
身廊の左右にある通路。一般に身廊よりも一段低いところに天井がある

身廊
正面から内陣へと向かう東西に細長い空間

ナルテックス
ファサードから入ってすぐのところにある玄関間。まだ洗礼を受けていない人々を収容する場所としても用いられた。

ファサード(正面)
「顔」を意味するラテン語に由来する。一般に西側に置かれる。これは教会の主要部である後陣や内陣が聖地エルサレムのある東を向くため。

扉口
ファサードにあって、一つあるいは複数の入り口から なり、しばしば彫刻に寄って豪華に飾られる。聖堂の内と外という二つの世界が出会う接点んで、キリスト教のいわば広告塔として、色々なメッセージを発信する役割を果たした。

側柱
入口左右の部分。ゴシック期にはここが大きくなり、多くの彫像が並ぶ部隊のようなkたちになる。

まぐさ(表記は木ヘンに眉)
タンパンを支える水平の石材

タンパン
扉口上部の半円または尖頭アーチで囲まれた部分。扉口の装飾において中心となるテーマが置かれる。中央に巨大な神を表し、残ったところを細かく仕切って小さな人物をはめ込んでいく。

飾りアーチ(アーキヴォルト)
タンパンを囲むアーチ。文様で飾られてリ、タンパンに描かれたテーマを延長するテーマが配される。

中央柱
まぐさを中央で支える柱。比較的大きめの入り口だけに見られる。


2 聖なる怪物たち

神聖な場所であるはずの聖堂に悪魔や怪物を表す美術が置かれている。
悪魔の存在理由を探し出すことはそれほど難しくない。
地獄で罪人の魂を責め続けるその勤勉な仕事ぶりは、むしろ神の作ったシステムに進んで奉仕している。また、神や信仰の力に対抗する悪の象徴として、善悪の対立関係を具体的にイメージできるようになる。
悪魔はキリスト教の体系の中にしっかり組み込まれた。

中世の怪物には大きく分けてに種類あることは意外と知られていない。
一つは古代以来リニウスの『博物誌』などで報告されてきた由緒正しい怪物たちであって、ちゃんと名前もつけられ、その生態もかなり詳しくわかっている。
もう一つは、中世の人々が作り出した奇怪なな生命体であり、聖堂を飾る柱頭や写本のページの片隅にうごめくものたちである。

前者を描写する体表的な例:ヴェズレーのサントーマドレーヌ聖堂玄関間のタンパン: いかに奇異であれ、漠としたものに何らかの形を与えることで自分たちのうちに取り込もうとする人間の普遍的な性向功をみることができる
東西の2大巡礼地(エルサレムとサンティアゴ・デ・コンポステラ)「への出発点であり、聖ベルナールが十字軍を説いたヴェズレーにこのようなイメージが見られるのは偶然ではあるまい
これらの異形の存在は、神の世界の広がりと多様性を体現していたのである

由緒定かならぬ怪物とは何か
例えばタヴァンのサン=ニコラ聖堂の柱頭:鳥の尾に動物の顔がついていたり、頭が一つで胴体が二つあるような生き物
サン=マルタン・デュ・カニグーの柱頭:羊頭有翼双身の奇妙な生き物
ロマネスク美術の中で新しく生まれた怪物たち(名前を見つけることはできない)
キリスト教により抑圧されてた中世人の深層心理や無意識、漠然とした恐怖が、それほど重要でない細部や周縁部の装飾に自ずと姿を表したものと言われるいけれど、こうした精神分析的解釈には何の根拠もない。

これらのイメージの重要な秘密は、「つながる」ということである。さまざまな部分が本来つながるはずのない要素とくっつき、ひたすら生長と増殖を繰り返しながら、口は人間に食いつき、手や足は何かをつかもうとする。この連鎖性はまさに文様が作り出されていく原理にほかならない

ただし文様として見慣れた植物の葉や枝、花とみといった部分が、動物や鳥、人間の身体部位に置き換えられているため、自ずと怪物になってしまうのである。

どのように変貌しようとも、その正体は文様なのであり、私たちは、むしろあっけらかんとしたその発想の自由な展開が呼び起こす快楽に身を任せるべきだ

これの怪物たちは聖堂の空間を活気づけ、ときに笑いや驚嘆を巻き起こした。キリスト教に、見たことのない古代や異郷の世界、東方の国々の香りを添え、魔術的な魅惑によって人々を引き寄せたのである。


3 「最後の審判」を読み解く

キリスト許の歴史観はきわめてわかりやすい。天地創造に始まり最後の審判で終わる直線的な時間の流れだ。
最後の審判は、いつ起こるかわからない。そのとき時間が止まる。
このいつ起こるかわからない審判を、教会の扉口にあるタンパンの彫刻は常に人々の目の前に提示していた。どのような説教よりも効果的に、見る者にこの世の終わりの恐怖を実感させたに違いない。

ロマネスク彫刻では、大きめのタンパンをいくつかの区画に仕切り、そこに様々な人物や情景がはめ込まれる。与えられた区画の形状により人物の大きさが伸び縮みし、隙間に押し込まれて身をよじる。
自在な変形やスケールの扱いは、他の時代には見られないロマネスクに特徴的な現象であり、私たちをめまいのような幻想の中に投げ込む。

ゴシック彫刻では、タンパンはむしろ小さくなり、飾りアーチがそれを何重にも取り囲んで、立体的に何層にも重なる天空の宇宙的な広がりを表現している。また、高層もずっと整理されて毎回な印象をアタ、絵人物のスケールも均一化される。そのため、全体が確固とした揺るぎない体制にのっとって運営されているかのような印象を与える。 例:アミアン大聖堂、ブールジュ大聖堂のタンパン

4 壁画を味わう

中世美術において彫刻が登場してくるのは、かなり後になってから。古代には盛んに作られた彫刻が完全に復興するのはロマネスクにおいてである。
中世の前半においては、ほとんど作例が見つからない。
これはキリスト教が偶像崇拝を戒めていることに起因する。本来キリスト教では美術を禁じていたのである。

彫刻に対して平面的な絵画は容認される傾向が強い。聖堂の壁画が聖書の内容を眼前におき、一般の信徒たちに広めるものとして、むしろ積極的に利用されたこともあり、初期キリスト教・初期中世を通じ、途絶えることのない、しっかりした伝統が存在した。

「文字の読めない人々のための聖書の役割」(by教皇グレゴリウス一世 在位590-604)

こうした伝統を基盤に、優れた作品が最初期から生み出された
例:ノアン=ヴィックのサン=マルタン聖堂の窓辺の天使(12世紀前半) ロワール地方のモントワール=シュル=ル=ロワール のサン=ジル礼拝堂

ロマネスク美術談義

ロマネスクとは14~15世紀のイタリアの人文主義者たちが、ルネサンス以前の建築様式を蔑んで用いたのが始まり。
すめてまとめて「ゴシック」と呼ばれていた。
Gothique=the Gothe(ゴート族風)、野蛮な、洗練されていない
中世=476~1453(便宜的な区切り)

17世紀終わりに、中世の前半と後半とではちょっとスタイルが違うのではないかという考え方が出てきた。
ジャン=フランソワ・フェリビアン(フランス建築アカデミー第一書記)が、中世の教会の建築のスタイルには「重々しい感じのもの」と「軽やかな感じのもの」があるとして二つに分けた

19世紀初頭(1818) シャルル・デュエリシエ・ド・ジェルヴィル(考古学者)
中世前半「ロマンroman」 (古代ローマ風)→英語(1819)Romanesque
「古代ローマの建築様式から派生し、やがて地方色がつき、堕落した粗野な様式」
言語におけるロマンス語(ラテン語から派生した様々な言語:イタリア語、フランス語、スペイン語、ルーマニア語、カタロニア語その他)に建築の分野で対応するのがロマネスク様式

18世紀後半から19世紀初頭、ロマン主義的な流れの中で中世の美術再評価

20世紀になり、 古代ローマやビザンティン美術の影響を脱した、ヨーロッパ独自の美術がロマネスクで初めて成立したと考えるようになる。さらに、ロマネスクはゴシックよりも原初的で純粋な信仰の表現と考えられた。
仏蘭西は、自分たちこそとロマネスクの本家だと強調し始める。
中世美術のフランス中止ィン主義を主張したエミール・マール
ロマネスクの定義を厳密にしてフランスのものに絞ったアンリ・フォションなどフランスの名だたる美術史家たちがこのような考え方を展開。国家ぐるみの宣伝。
イタリアが古代ローマやルネサンスを自慢するように、いくぶんナショナリズムとの関係が強い。

時代区分の定説
ロマネスク=11世紀から12世紀中頃ないし後半まで
ゴシック=12世紀中頃ないし後半から15~16世紀まで
最近はロマネスクとゴシックを対立させるような見方は過去のものとなって、中世全体を大きく捉える見方が広まっている

ロマネスク建築の特徴と魅力
暗くて重量感のある内部空間 光と陰影が対比的に作り出すドラマが効果的に演出されている 聖堂内の暗さが肯定的な価値として積極的に認められていた
外観は単純な幾何学的なフォルムが中心で、そのシンプルな形(立方体、円柱、円錐)を積み木のように組み合わせ配分していく、明確な論理性がある
そうしょくがまったくないぶぶんと、そうしょくされたぶぶんとがはっきりとわけられている
シンプルさを重視する傾向は現代の建築ともつながっている建築の規模も人間的なスケール
現存するロマネスク教会は地方で、回りの自然環境と一体となっている
9世紀末~10世紀前半におけるノルマン人やマジャール人の侵入を最後に諸民族のヨーロッパへの移動が集結して、社会や経済が安定し、教会を建造する余力が生まれた
ロマネスクの時代は、教会がだんだん勢力を広げて信者を増やした時期 その動きを加速したのが巡礼ブーム 巡礼が落としたお鐘で新たな教会や修道院を作った
11世紀の早い時期に教会の建築ラッシュが始まった
12世紀は空前の巡礼ブーム
クリュニー会は巡礼を組織的に奨励することで、いわばロマネスク興隆の仕掛け人のような役割を果たした

古代から、柱頭を装飾する伝統はありましたが、主としてアカンサスなどの植物的な文様でした。
ロマネスクではこれを次第に、物語をあらわすものへと置き換えていった。
物語的な柱頭装飾はまさにロマネスクの発明品 :それ以前はなかったし、ゴシックの時代になると廃れてしまう(柱頭までの距離が大きく彫刻が見えにくい)
優れた作例:サン=マルタン・デュ・カニグー、オータン、ヴェズレー柱頭の建築部材としての制約をいわば逆手に取ったものだった

プリミティヴな魅力が20世紀初めの美術家にアピールした
例:ドラン、ピカソなどのフォーブやキュビズム、
ブランクーシの「接吻」
19世紀の建築家 ゴシック・リバイバル ドイツ中心 アメリカではボストンのトリニティ教会

ロマネスクが同時多発的な現象であったのに対し、ゴシックはパリを中心とする イル=ド=フランス地方からヨーロッパ各地に放射状に広がっていた
ゴシックへの移行が一気になされたわけではなく、12世紀後半を通じて色々な試みがなされた結果確立された
イタリアではゴシックは根づかなかった

meロマネスク美術の中で新しく生まれた怪物たち、そのイメージの重要な秘密は、「つながる」ということであり、そこの連鎖性はまさに文様が作り出されていく原理にほかならない、というのはすごいですね。面白い。

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