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ヨーロッパ芸術史

ゲーテとアラベスク

ゲーテさんこんばんは – 2001/9 池内 紀 (著) 単行本 P92ー93

me「ゲーテ全集」読書中。
潮出版社の、生誕250周年記念の新装版の第11巻『イタリア紀行』であるが・・ 
まず、工匠パッラーディオ、それからヴィトルヴィウス、ヴィンケルマン・・
彼は言う、あまりに大きな学校に入学してしまったために、急には卒業が許されそうにないと。(ローマにて、 六月末(1987年)) 

37歳のゲーテは、1786年9月から1788年、約2年にわたりイタリアへ、1816-17、29年に旅行記としてまとめた

 


ティッシュバイン画 イタリアのゲーテ
「イタリア紀行」にはこの画家 ティッシュバインの話がたくさん出てきます

2010年3月26日大塚国際美術館にて
( 絵の大きさがわかるだけでもすごい、 感謝すべきと美術館)

  ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann wolfgang von Goethe, 1749- 1832)

アラベスク

 

(1786年)十一月二十八日、ぼくたちはシスティナ礼拝堂に戻り、天井が近く眺められる回廊を開いてもらった。(中略)ぼくはすっかりミケランジェロに心を奪われ、彼を見た後では自然さえも味わいを持たないほどだった。それもぼくには自然を彼ほど偉大な目を持ってみることができないからだ。 このような絵をしっかりと心にとどめる手段があればと思う!せめて、彼の絵の銅版画や模写でも、手に入るかぎりのものは持ってかえるつもりである。

ぼくらはそこからラファエロの歩廊(ロージエ)へ行ったが、これは見るべきではなかったといえるだろう。、絵が、先の絵の偉大な形姿と、あらゆる部分にわたる見事な感性によって拡大され慣らされているために、アラベスクの才気にあふれた戯れをみるのに適応できないのだ。

これらの両者の作品は、もっとたびたび見比べ、もっと時間を変えて比較すれば大きな喜びを与えられるに相違ない。

 
辻邦生さんの「美しい夏の行方」をまた読みました。 「ゲーテがイタリアに来たのは、息苦しいワイマール公国の現実的職務と平凡すぎる日々の生活のなかで、精神的に完全に窒息していたからだった。このまま進んだら、詩人として息が絶えてしまう―そう思った時、衝動的に南の国へ彼は旅立ったのだ」
 
ここらへん、牧野宣彦さんは少し違うふうに言う
(ゲーテが旅立った理由)
1.シュタイン夫人との愛に行き詰まった(惜別の旅)
2.詩が書けなくなった(唯一の例外はイタリアへのあこがれを書いた詩「ミニヨン」だけであった。詩才と魂の再生のため 詩人の夢を追い続けようとの不動不抜の志で)
3.政治家として限界を感じた(鉱山の開発、道路の建設、土木工事などの指揮から、帰国後は文化面だけを担当)

ゲーテはワイマール公国一の高給取りで、旅行中も帰国後もその年収を貰い続けることができるように考えて用意周到準備した
イタリア紀行の冒頭の部分を読んでいると、ゲーテは唐突に旅行したように書かれているが、実はこの旅行はゲーテの冷静な計算の上に企てられた行為だった。

ゲーテの「イタリア紀行」を読むページ(詳細)は別にこちらに。(クラッシク)

ここでは、ゲーテがアラベスクについてどう思っていたかの一端を挙げてみた(20170303)

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