アマ
アマ(亜麻) アマ flax‖Linum usitatissimum L. 茎からは繊維を,種子からは油を採る作物( イラスト )。その繊維で肌ざわりがよく薄手の織物リネンを織る。  アマ科の一年草で,カフカス地方から中東にかけての一帯が原産地とされる。古代エジプトでも栽培,利用された。日本には 17 世紀に中国から渡来したが,当時は薬用とする亜麻仁油を採るのが目的であった。繊維を採る目的で北海道に導入されたのは明治初期のことである。  葉は細く,長さ 2 〜 3cmで,互生する。茎は高さ 60 〜 120cmで細い。繊維用品種は枝分れしないが,種子 (油) 用品種は多くの枝を出す。夏に青紫色または白色で直径 1.5cmほどの 5 弁花が咲く。 堕果 (さくか) には数個の種子がはいる( イラスト )。種子はつやのある黄褐色の楕円形で扁平。長さ 5mm前後で,種子 (油) 用品種は繊維用品種より大型である。種子用品種の栽培は温暖地でもよいが,繊維用品種の栽培には冷涼で湿度の高い気候が適し,日本では北海道が適地。春早く播種 (はしゆ) し,夏に種子が熟しかけたころ抜き取り,乾燥後,種子を採り,また繊維を調製する。  茎から採る繊維は光沢があり,けばだたず,柔らかである。亜麻繊維からの織物 (リネンlinen。 リンネルともいう) は麻布と呼ばれ,汗を吸い,またそれをすぐに発散させるので,夏用の服地として利用する。感触がよいので,乳児や婦人用の肌着,ハンカチーフ,ナプキン,テーブルクロス,シーツなどにする。また耐久力があり,布ホース,防水布,テント,帆布,油絵用キャンバス,パッキングなどにも使う。繊維のくずは壁材やろ過材とし,また,紙幣などにする良質紙のリネン紙をつくる。種子には 40 %前後の油,亜麻仁油が含まれる。亜麻仁油は良質の乾性油で,ペイントや油絵具,印刷用インク,リノリウム,セッケンなどの材料とするほか,薬用としても使う。繊維を採り去った茎は燃料とし,種子の絞りかすは飼料として利用する。 ⇒アサ ‖麻織物 星川 清親  アマ属Linumは北半球の温帯を中心に約 200 種ほどが知られ,一〜多年草だが,茎の基部が木質化するものもある。繊維植物であるアマのほかに,花を観賞するため栽培されるものがあり, タカネアマL.alpina L.やシュッコンアマL.perenne L.はヨーロッパ原産の多年草で,ロックガーデンに栽植される。またベニバナアマL.grandiflorum L.は北アフリカ原産で切花にされる。  アマ科Linaceaeは,北半球温帯に多いが世界的に分布しており,低木あるいは一〜多年草で,13 属 300 種ほどが知られている。葉は単葉で互生し,花は放射相称で,花弁は基部で合着することはあっても離弁的で,子房は上位である。カタバミ科やフウロソウ科に近いという意見があり,フウロソウ目にまとめられたり,あるいはアマ目として独立させられたりする。 堀田 満 [ヨーロッパにおける利用の歴史]  エジプト,バビロニア,フェニキアなどの古代文化においてすでに亜麻が用いられていたことはミイラの布などからも明らかである。 6 世紀初頭に成立したとみられるサリカ法典においても〈誰かが他人の畑地より亜麻を盗み,しかしてそれを馬もしくは荷車にて運び去りたる場合,彼は同じ物あるいは同価のものや贖罪 (しよくざい) 金の他 600 デナリウスすなわち 15 ソリドゥスの責あるものと判決せらるべし〉 (27 章 8 節) とあり,亜麻がヨーロッパ大陸においても貴重な素材であったことがわかる。亜麻はときには支払手段としても用いられていた。 8 世紀になると,それまでの毛皮の衣服に代わって青や灰色の亜麻布の上衣が用いられるようになる。カール大帝時代にはすでにライン川下流域で,ローマの伝統を受けついで羊毛生産はかなり盛んに行われていたが,カール自身も亜麻布の素朴な衣服を身につけていたといわれる。  亜麻の生産地としてはシュレジエン,ラウジッツ,ウェストファーレン,シュワーベン,ボーデン湖周辺,バルト海沿岸などのドイツ各地とアイルランド,ベルギー,ネーデルラントが主たるところであり,イタリアやスペインなどはドイツから輸入していた。 11 世紀にいたるまで織物生産は,一般に家内で営まれるか領主館や修道院の隷属民の労働によっていたが, 11 世紀以降になると織工の組合が生まれ,営利生産が行われるようになる。しかしそれと同時に羊毛生産と亜麻生産が競合し,羊毛生産者が都市内で高い地位を占めていったのに対し, 亜麻布織工は多くの地域で賤民 (せんみん) として組合結成の自由すら認められない場合が多かった。本来農村を主たる舞台としていた亜麻布織業が都市内に進出していった場合でも,繊維をたたく騒音などのために市壁の近くに定住させられ,亜麻布織工の子弟は他の手工業の徒弟となることも禁じられる場合が多かった。  亜麻布織工は,ドイツでは 15 世紀末になると都市内に移住を開始する。そのころ通商路の大西洋への移動にともなって都市経済の発展は限界に達し,手工業組合は婦人労働をも駆逐しはじめていたから,市内に新たに競合する組合の設立を認めず,農村から流入してくる亜麻布織工を賤民として位置づけていった。同じころに刑吏も賤民の最下層に位置づけられていったが,亜麻布織工と粉ひきには刑場の絞首台を設置する義務が課される場合がしばしばみられる。刑吏の用いる絞首台用の綱を用意する亜麻布織工が賤民視されていったのは,まさに彼らが貧民として農村から大量に都市に流入し,既存の職人層の生活基盤を脅かしたからであるが,こうした道具をつくる義務は地域によっては 1653 年には免除されている (たとえばビュルツブルク)。亜麻布織工が賤民身分から解放されるには 18 世紀をまたねばならなかった。 阿部 謹也 [民俗]  亜麻は長らく人々の日常生活の必需品であったため,栽培者にとってその収穫量が大きな関心事であった。そこでイギリスでは,夏至の日にかがり火をたき,それを飛び越えて豊作を祈るまじないとした。英名 flax は〈皮をはぎ繊維を採ること〉を意味する古チュートン語に由来しているが,これを人間に教えたのは大地の女神フルダHuldaといわれ,伝承によれば女神はチロルのウンターラッセン近くにある洞穴から,夏と冬の 2 回地上へ現れ,人々の働きぶりと亜麻の育ちぶりを見て回るという。もしも人々が十分な労働をしていなければ,翌年の収穫量は減らされることになり,したがって花ことばにも〈家事熱心〉が選ばれている。亜麻は魔女が嫌うため,悪いまじないをはねつける力があるとされ,戸口に置いたり牛の角に結びつけて魔除けとした。 荒俣 宏


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