唐草文の文化史

ブトミールの文物

「壺」



Radimsky & Hoernes, Die neolitische Station von Butomir,Ⅰ(1895)
ユーゴスラビア、ボスニア、ブトミール文化集落出土の壺。(高さ20.5センチ)
me図像研究のあやしさ(妖しさ・怪しさ)から、特に古代宗教・ フェミニズム関係は別サイトにしているのですが、今そちらで読んでいる M.ギンブタスの「古ヨーロッパの神々」で私が気になっているのは、上記の写真226です。
新石器時代、 前5千年紀中葉というけれど、なんですか、この文様は・・・っと。
発見年1893-95年!(サラエボ博物館蔵
)・・ Alois Rieglの美術様式論は1893年刊です・・
当サイトの課題は原始宗教の起源ではなく、唐草文様の起源ですが、 こちらのサイトにもあるように、 http://dmc.ssst.edu.ba/ButmirNeolithicCulture/ 「螺旋と縞模様のデザインが、特に特徴的なされている。強力な美学的、宗教的感情の結びつき・・」といったものはどうしてもあるわけです。
よってここに取り上げておき、のちほど、リーグルの図を参照してみたいと考える。

マリヤ・ギンブタス(1921-1994)女性考古学者。 新石器時代・青銅器時代専門
初版1974年「古ヨーロッパの男神と女神:BC7000-3500年」
改訂版1982年『古ヨーロッパの女神と男神:6500-3500BC」


Butmirska vaza
Butmir culture (Wikipedia en.)
WEBで見られる数々の写真リソース
http://www.realmagick.com/butmir-culture/
■Bosnien-Herzegowina, Okolište und Butmirhttp://www.dainst.org/



ボスニア·ヘルツェゴビナBosnia and Herzegovina の位置図
by David Liuzzo [Public domain](Wikipedia
(Wikipedia en.)
首都サラエボ(サラエヴォ)Sarajevo

me

復習(先史時代とは)


先史時代の人類史 (Wikipedia)から
注意書きに、 「以下にあるすべての年代表記は、人類学、考古学、遺伝学、地質学や言語学から推測されたものである。そのため、最新の研究によって変更される場合がある。」
旧石器時代・中石器時代
120,000年前:解剖学的に現代人と言えるホモ・サピエンスがアフリカで生まれる。
300,000年前:人類の人口が推計100万人に達する。
300,000年前から30,000年前:ネアンデルタール人のムスティエ文化がヨーロッパで発生。
75,000年前:トバ火山大噴火(トバ・カタストロフ理論※1996年by Stanley H. Ambrose教授)
70,000年前から50,000年前:ホモ・サピエンスがアフリカからアジアに拡がる。次の1000年間に、この人類の子孫に当たる集団の居住域は南インド、マレー諸島、オーストラリア、日本、中国、シベリア、アラスカそして北アメリカ北西部まで広がった。
後期旧石器時代
32,000年前オーリニャック文化がヨーロッパで発生。
30,000年前から28,000年前:フランスのヴェゼール渓谷で、トナカイの狩猟が行われた。(ヴェゼール渓谷の先史的景観と装飾洞窟群)(※= ラスコー)
28,500年前:アジアもしくはオーストラリアを経由して、人類がニューギニア島へ到達。
28,000年前から20,000年前:ヨーロッパでグラヴェット文化が起り、銛、針、鋸が発明された。
26,000年前から24,000年前:繊維の利用が広がり、籠や衣類、袋、籠、網や女性が用いたベビーキャリーなどが作られた。
25,000年前から23,000年前:チェコ、モラヴィアのドルニ・ヴィエストニッツェ遺跡(en)から非常に古い土偶が発見された。これらは、発見された人類最古の定住を示す証拠と目されている。
20,000年前から18,000年前:フランスでシャテルペロン文化が興る
16,000年前から14,000年前:フランス、ピレネー山脈のテュク・ドドゥベール洞窟にて、ヨーロッパバイソンを描いた洞窟壁画が発見された
14,800年前から12,800年前:北アフリカ気候が湿潤期となった。後に乾燥してサハラ砂漠となったこの地域は、当時水が豊富かつ肥沃であり、帯水層で満たされた[
13,000年前:北東アジアで土器の製作が始まった
中石器時代
10,000年前:人類の人口が推計500万人に達する。
新石器時代
8000年前から7,000年前:現代のイラク北部に当たるメソポタミア北域で農耕が始まる。栽培されたものはオオムギやコムギ。当初はビールやグルーアルgruel(粥)(en)またはスープに調理され、後にパンが作られた。当時の初期農耕では耕作において棒がよく用いられたが、やがて数世紀後には原始的なプラウに取って代わった。エリコに周囲8.5m、高さ8.5mの円筒型石塔が築かれたのもこの時期である
青銅器時代
4000年前:農耕の普及により人類の人口が推計8700万人に達する。
3700年前:楔形文字が発明され、文字記録が始まる。
3000年前:ストーンヘンジの建造が始まる。初期のそれは、56本の木製の柱と円形の溝や傾斜で築かれたものだった。

me上は私が持っている世界文化史年表(2004年芸心社)の一つでありますが・・
左端60万年前の次の目盛りは10万年にワープしており、
アブヴィーユAbbevillian文化、アシュールAsheulian文化、ムスティエMousterian 文化、オーリヤックAurignacian文化、マドレーヌMagdeleinian文化という感じで・・無味乾燥ですが・・

検索補遺
アブビル期(文化)遺跡
(北仏Somme川沖積層)http://lithiccastinglab.com/gallery-pages/
Early Acheulean = (Abbevillian)http://www.worldmuseumofman.org/

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