「美術様式論」読書会:「リーグル美術様式論―装飾史の基本問題」 Stilfragen, Wien 1893 (長広敏雄訳 岩崎美術社、1970)

メソポタミア様式

装飾発展史におけるアッシリア美術の意義

縁飾りと広幅模様との区別

静的な働きと静的な無関係性との区別

アッシリア美術にいたって、初めて縁飾り、つまり芸術的に満足な隈取りがなされる

今日残存するメソポタミア美術の遺品は、ほとんどアッシリア支配の比較的後代のもの
最古のものはエジプト古代史の比較的後代に属するテーベ王国、ツートメス朝までさかのぼることが困難
(チグリス・ユーフラテス下流のカルディア人がどの程度まで創始したか確実に決められない)


メソポタミア人のもっとも愛好したモチーフ

メソポタミア美術の特に異色ある文様

「美術様式論」P115

33図
第33図
アッスルナシルバル※(西暦前1000年)時代の最古のニネヴェ宮殿廃址発見の彩釉レンガに表された壁縁飾り

中央に絡縄文帯があり、その両側に植物文様の列が縁取る。
この植物文様は扁平化した弧線の細帯によって、たがいに結び付けられている
この絡縄文帯はエジプト美術には同類の原型を発見しない
ゼムベル・・弁髪編みから始まったとする・・ 「くだらない」
絡縄文はシンメトリー(相称法則)およびリズム法則による線の構成に過ぎない
それより重要なのは、33図の蕾、パルメット、三弁の花の三様。 エジプトではロータス花、ここではパルメットが二重に反復する=主文様

「美術様式論」P116

エジプト アッシリア
側面形 鱗状の飾りがある
パルメット 半側面形ロータス
萼と扇形が均衡を保つが時に萼が優勢
扇形がはるかに優勢
萼は渦巻きを示さず、二つの弱い下方に向かった角型(つの)を作る
萼と扇形の間に第二の萼が挿入され、強い渦巻き這う上方へ巻き上げられている

アッシリア・パルメットでまたく新しいとみられる文様要素

アッシリア・パルメットでまったく、新しいとみられる文様要素
上方に巻き上げられた渦巻形萼
エジプト植物文様にその原型が存する

アッシリア・パルメットの原型を自然界に求めて、棕櫚に当てるのは誤っている
むしろ、棕櫚の扇形描写は、パルメットの完成した装飾形式から借用したもの

「美術様式論」P117


この縁飾りの第三の要素
三弁に分かれた花について
中王国(十一王朝より十二王朝)以来非常に流行した文様 (第37図のエジプト冠頭文様)との関係

ジーベル説=壺
上に向かってとがった形をとらず、むしろロータス花の形を示している
第37図は(冠頭部の大きい)ロータス花/蕾
アッシリア縁飾りで「「扇形に広がる花の輪郭線、花を連絡するたいらな弧線
エジプトでその模様は、二つの枝分かれした茎の上に立ち、二つの茎は、独立した刺客のように気本線の上に分かれて立っている

エジプト植物に対してアッシリア文様の特徴は、明らかに純装飾的意味での形成

連絡する弧線によって並んだ植物文様を結び合わせることは、
エジプトのラメセス朝時代の美術に行われた
エジプトの弧線は、美しく描かれた曲線であった
アッシリアの扁平な弧線からは大して好ましい印象を与えられない
この扁平弧線は エジプト弧線のように、直接植物文様下部に接しておらず
留め金風の「結節帯」を持って接する
この結節帯の上部には、エジプトの原型に既にあった、パルメットの渦巻形萼のように、左右に分かれた二つの線=萼を示している
花はしかし、「結節帯」を通じて弧線と結びついている
帯の下部につけられた萼と結節帯とは、メソポタミア独特の装飾形成がもたらした添加物である。

サルゴン時代のエジプト化したふち飾り文様


第34図 陽刻を施した石製扉(アッシリア)
(戸敷居の隅の文様)
中央部と連絡のための中間部、外の縁飾りが厳重に区別されており、しかも純装飾的
エジプトでは一般に求めえない手法

特に目を引く、ロータス花と蕾の縁飾り
新しいのは萼
連結弧線の延長であり、その目元が締金によって締められている

35図
35図 パルメット冠頭飾りのある幕屋(アッシリア石製浮き彫り)

エジプトのパルメット系統の略式(=「渦巻形萼のあるロータス花」と名付けたもの)


・・アッシリア文様のもっともふつうに行われた形の一つ
エジプトの原型との違い
・しばしば渦巻き形萼の渦巻きが失われ、すんなりした形をとった
・中間の花弁がとがった
使い方(二種類)
・(自由終止の形で伸びた)あるものの冠頭部(35図)
・長いものの定まった方向を占める部分を表す(聖なる樹)

※(現在の表記)
アッシュール(カラット・シェルカット)は、アッシリアの最初の首都となったチグリス川西岸の都市を中心とする地域のことも指し、その主神のこともアッシュールと言います。 アッシュールがメソポタミア諸都市の中でも、少し変わっているのは、「都市アッシュール」と、それを中心とした地域である「アッシュールの地」と、それらを守護する「アッシュール神」が全く同一の名前である点である、ということです。 アッシュールは、紀元前14世紀後半からアッシュールナシルパル2世の世までアッシリア国王の都市として栄えました。 アッシュールはその後、バビロニア人によって征服されました。 紀元前614年のことです。

アジア世界遺産.シリーズ.comアッシュール(カラット・シェルカット)


アッシリア文様

http://kozakura.blogspot.com/2007/04/blog-post_5516.html
http://hi.baidu.com/bingdilian_02/blog/item/4b3d5ff930fab25a242df263.html
http://mphot.exblog.jp/i31/3/

絡縄文

http://avantdoublier.blogspot.com/2010/05/blog-post_25.htmlギローシュとは組紐文
http://joumon-uzumaki.com/mobius/
http://avantdoublier.blogspot.com/2010/05/blog-post_25.html

ニネヴェ宮殿 廃址 彩釉レンガ

http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/babylon/babylon_dic.html

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